チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

京都市のブログ記事

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  • 追記(自叙伝補足)

    昨日で自叙伝は終わりにしようと思って居たのだが、もう一つ忘れて居た事が有る。 それは私の心にいつまでも離れない想い。 新採時に盲学校の学校事務に配属された同期の人が居た。 彼は関大だったか近大だったか忘れたが、とても大人しい控え目な人だった。 同期会で一番気の合う人だった。 私も大人しい性格だった... 続きをみる

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  • 最終回(自叙伝補足)

    昨夜は結構雨が降ったので、今日はクーラーを付けずともとても涼しかった。 でも喫茶店に行かないとシャンとしないので出掛けた。 珍しく屋根の駐車場がいっぱいに成って居た。 暫くすると客が出て行ったのでメロンスムージーを一息飲んで車を停め直した。 (昨日のつづき) さて、自叙伝もいよいよ書く事が無く成っ... 続きをみる

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  • 子供時代(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) 小学生の頃はビー玉やメンコでよく遊んだ。 家の前は未だ舗装して無かったと言う事に成る。 メンコは油に浸した少し大きめのメンコを持って居た子が居た。 中々捲れ無かった。 でも捲ったら自分の物に成るので必死に成った。 紙芝居もよく来た。 5円だったろうか。 1円だったろうか、よく覚え... 続きをみる

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  • 家族の事(その2)(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) 父は警察官だったので軍隊では憲兵に成った。 少し徴集が遅かったので年を取って居て辛かったそうだ。 唯、頑張ったので2階級特進で上等兵に。 心臓が悪いので兵役で無理をしたのだろう。 南方のジャングルの水中の行進で傷めたのだろうと思って居たが、満州だった。 引き揚げの時は憲兵は真っ先... 続きをみる

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  • 府税職場の頃(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) 学校から同じ時期に教育局に異動して来た者は私より先に他に異動した。 私は其のまま支部の執行委員で留まったが、新しく来た者が分会長をした。 私より少し年下の京大卒だった。 彼はバトミントンが好きで、よく私を誘ってくれた。 管内の学校の体育館を借りた。 その学校から教育局に異動して来... 続きをみる

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  • 妻との出会い(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) 最初の勤務地の学校事務の5年間は1日も年休を取らず、何かそれが美徳の様な事務所の雰囲気だった。 次の教育局の時代は組合役員をしたと言う事も在って、権利に目覚め、体制に反抗する様に成った。 役員仲間とよく飲みに行った。 その後も付き合いが続き、結婚式の司会を頼んだ。 府職労現業議長... 続きをみる

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  • 大学時代(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) そう言えば今まで随分と本を捨てて来た。 受験参考書の赤尾好夫の英語の綜合的研究、矢野健太郎の難問解法のテクニック。 今では何の役にも立たないがもう一度見てみたい。 予備校の世界史の教科書が分厚くて、余計に成績が悪く成ったのだが、 今読めば教養が身に付く良い本かも知れない。 それら... 続きをみる

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  • 振り返り(自叙伝補足)

    (昨日のつづき) さて、急ぎ足で書いて見たが、思い出した事が他にも有る。 これから所々補足して行きたい。 時間は有り余るほど有る。 まず小学校4年位だったかソロバン教室に通った。 嫌だったが、あの独特な部屋の匂いは今思うと懐かしい。 3級に成っても暗算が苦手だった。 今から思うと習字教室に通わせて... 続きをみる

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  • 教育委員会から知事部局へ(自叙伝)

    (昨日のつづき) 異動希望を出して置いたら次の異動先は植物園だった。 何故教育委員会から知事部局に成ったのかは分からない。 教育委員会と知事部局との人事交流は少ないのだ。 本庁に異動後、組合役員はしなかったが、教育委員会から植物園に変わると分会長兼支部書記次長に。 植物園の職場は組合については素人... 続きをみる

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  • 本庁での仕事(自叙伝)

    (昨日のつづき) 本庁では総務課調査広報係の調査担当で「学校基本調査」の内の「卒業後の状況調査」を担当した。 京都市立を除く府内の全公立小中高の事務員を集めて、調査の説明会などもした。 元の職場の懐かしい先輩事務員の顔も在った。 説明会にはいつも京都市の担当者も臨席して親しく成った。 (京都府は政... 続きをみる

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  • 名も知らぬ木の匂い

    昨日に続いて今日も雨がしとしと降ったり止んだり。 もう梅雨に入ったのだろうか。 温度計は昼間でも24度以上にならない。 少し前までは30度を超えて居たのに…。 お陰で空気も綺麗になって、冷たく湿った空気が心地良い。 昔、京都の嵯峨野に伯母の家が在った。 その家の庭は何時も独特な木の香りがして居た。... 続きをみる

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  • 大野雄二・フルコース

    昔、学生時代に「京一会館」と言う映画館が、京都の左京区の街外れにあった。 500円で4本立の日活ポルノとか寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう。」などを見ていた。 4本立は疲れるので、一週間に2本づつ2回に分けて見ていた。 その時の幕あいに掛かっていた曲がとても気に入ったので、 映画館のおばさんに聞... 続きをみる

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  • ヘルストロン

    皆さんはヘルストロンと言う健康器具をご存知だろうか。 白寿社から出て居る電位治療器で、 私のは、6,000ボルトと3,000ボルトの切り替え式で、 値段は確か40万円だったと思う。 今から40年ほど前、母が或るパンフレットを持って帰った。 それは高圧電気の椅子に20分ほど毎日座って居ると、 肩こり... 続きをみる

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  • 高校時代の思い出(其の2)

    私は此のブログをFACEBOOKにシェアして居るが、同窓生からコメントが有った。 そして、高校の卒業アルバムを懐かしく見て居て思った。 心臓肥大になるほど激しくスポーツをしなければ良かったと思って居たが、 アルバムを見て、高校生活の素晴らしさ、今はもう二度と戻れない青春時代に、 死ぬほど練習し終え... 続きをみる

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  • 高校時代の思い出

    何の脈絡も無しに、昔のことが突然頭に浮かぶことが時々ある。 それも食事時に多い。 高校時代の学園祭の模擬店で、中華そばを作っている時の写真。 これは写真に残っていて、アルバムに貼ってあるからこそ、思い出すのであって、 模擬店で、これ以外のことは中々思い浮かばない。 辛うじて覚えているのは、生麺を家... 続きをみる

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  • 日本の思い出(御所)

    御所の思い出は色々あるが、学生時代、同志社の一回生の時、 サッカー同好会に入っていたが、その時の練習場所が御所の芝生だった。 見回りのパトカーが来たら隠れて、去ったらまた練習をした。 多分グランド使用料の節約だったと思う。 京都府庁に勤務の時は、近隣の者は府庁に駐車出来無いので、御所の駐車場を借り... 続きをみる

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  • 日本の思い出(祇園)

    京都・祇園の思い出と言うのは、幾つもあるが、 やはり、忘年会や歓送迎会などの宴会を祇園で行った、夜の祇園の思い出が多いように思う。 年に一度は必ずと言っていいほど祇園で行われたので、年の数だけ思い出があるはずだが、 余りにも多いので、一つひとつについては、それほどはっきり覚えていない。 幹事さんも... 続きをみる

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  • 日本の思い出(下鴨)

    日本では京都の下鴨に住んでいた。 40年を過ごした昔の家から、結婚を機に同じ下鴨地域内で新しい家に引っ越して、10年を過ごした。 前の家は風呂もガレージも無い小さい家ながらも、4人兄弟と祖母も居たので、昔は7人家族だった。 車は近くの寺の境内に預け、風呂は近くの銭湯に通った。 新しい家は風呂もガレ... 続きをみる

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  • 二つのニュース

    《チェンライの洞窟で行方不明の13人の少年達発見!》 行方不明になってから10日目の2日夜、全員の生存が確認されました。 大雨による洞窟内の増水で潜って泳いで出る必要がある。 或いは、水位が下がるのを待つ必要がある。 よく生きて居たものだ。 発見したのは、イギリス人のダイバーで、洞窟内での潜水のプ... 続きをみる

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  • 兄のこと

    小さい頃の記憶に、電車のホームで、兄に隠れられて泣きそうになった事とか、歌声喫茶に連れて行って貰った事とかが有る。 兄は大変歌が上手かった。 大きくなってからも、例えば、結婚式の披露宴で、兄が素で歌うと、皆がやんやと褒めて居た記憶が有る。 兄は大学にも行かず、その頃は未だ余り皆が大学に行く時代では... 続きをみる

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  • お気に入りのクラシック

    私がまだ若かった頃、ベートーヴェンの田園や運命しか知らなかった頃、 小学生時代一緒によく遊び、再び付き合う様になった友人が、 これを聞いて見ろと、プロコフィエフの交響曲『青春』のレコードを貸してくれた。 私はその曲がとても気に入り、何度も聞いているうちに、随分長い間借りてしまった。 漸く返却して、... 続きをみる

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  • 父の記憶

    父は私が高3の時に亡くなった。 それからは、母と二人暮らしになった。 余りにも早く亡くなったので、父の事を思い出すのは、何か悔しかったし、惨めになるので、父の記憶は封印して来た。 母が亡くなって3年経った。 何だか父の事を思い出したくなった。 もう、思い出してもいいのでは無いかと思う。 いや、遅き... 続きをみる

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  • 日本の思い出(5月の嵐山)

    以前は年に一度は帰国して居た。 殆どが常宿の嵐山のマンスリーだった。 桜を見る為4月に帰国するのが常だったが、その年は5月に帰国した。 日本に住んで居る時、5月のツツジは、長岡京市の長岡天神のツツジを、しばしば見に行くことはあったが、嵐山に行くことは無かった。 嵐山は、あくまで、桜ともみじの名所と... 続きをみる

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  • 日本の思い出(嵐山)

    日本の家を処分してからは、 帰国時は嵐山の安いマンスリーを利用するようになった。 でも、母が倒れてからもう5年以上帰って居ない。 前の家を懐かしく思うのは当然だと思うのだが、 何故か嵐山のマンスリーがやけに懐かしい。 そして、嵐山の業務スーパーに車で買いに行った時の事も…。 マンスリーは、独身用だ... 続きをみる

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  • 日本の思い出

    昔、日本に居た頃、友達の結婚式で祝辞を述べました。 内容は、前の夜に見た夢の話です。「お母さん、お母さん」と呼んで居ました。(中略)そして、目が覚めた時思いました。結婚しても親の恩を忘れる事は無い。結婚しても、親の愛は無くなるものでは無い。そんな内容の話をした事を、ふと、思い出しました。あれは何年... 続きをみる

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  • 日本の思い出(下鴨)

    日本の家を処分してからは、 帰国時は嵐山の安いマンスリーを利用するようになったが、 帰国時に車が無いと不便なので、 日本海方面に向かう山陰線の園部と言う田舎町の安い駐車場を借りて、 暫くは処分しなかった。 帰国時には、嵯峨嵐山駅から小一時間ほど山陰線に乗って車を取りに行き、 タイに戻る時は、園部に... 続きをみる

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  • 妻のこと

    タイで挙式の後、配偶者ビザが下りて間も無く日本に初来日し、 日本でも式を挙げた。 日本語学校に通ったりして、間も無くカタコトの日本語も覚え、 料理もメキメキ上達した。 当時、私は組合活動で忙しく、また、仕事も滞納税の徴収で、 精神的な疲れもあり、彼女と過ごす休日が待ち遠しかった。 休日、彼女と遊ぶ... 続きをみる

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