思考停止
そもそも私は善く生きたい、善とは何かを追い求めて居た。
そして、書物主義に陥り、当時流行って居た「書を捨てよ、街に出よう」と言う言葉に促され、一旦思考停止をして社会的な実践活動に入った。
それが民青だった。
それは同じゼミの知人から誘われた道では在ったが、小学生時代に読んだソ連の計画経済の影響で、共産主義アレルギーは無かった。
其処では極左暴力集団と対峙したり、民青京都府連委員長の運転手をしたり、色んな経験を積む事が出来、入党を勧められたが、私が毛沢東を好きだったので、「お前は毛沢東盲従派か」と言われ、入党の許可は得られ無かった。
そして、京都府庁に入り、労働運動に参加する中で、市会議員から入党を勧められ、入党に至った。
其処では前衛党員に成ったと言う高揚感に溢れ、共産主義の何たるかを極める為、日々の実践活動に依って学習して行った。
詰まり其処では共産主義が誤って居るなどと言う観念は最初から打ち消されて居て、如何に理解するかと言う方向でしか無かった。
それが途中、民主集中制や派閥禁止などに一定の疑念が生じたが、強大な保守・反動と闘う為には更なるマルクス・レーニン主義の学習が必要と考え、古典を読み漁った。
マルクス主義の3つの源泉の内の一つに「科学的知識の総和」と言う概念が有るが、今までの知見としての観念論哲学や、心理学、仏教哲学を総動員して事に当たった。
そして私の生涯は確たる党派性の元に充実した党生活を送る事が出来た。
労働運動の分野に於いても自民党府政と徹底して闘った。
そして、タイ移住と共に隊列を離れ、今までの疑念を振り返る時間的余裕が生まれ、一つひとつ熟慮して行く中で、疑念は大きく膨らみ、思想的転換を遂げる事に成る。
民主集中制は多数の意見と異なる場合でも多数の意見に従わなければ組織として弱体化すると言うものだが、それは全体主義では無いか。
少なくとも行動を保留する権利は有する筈だ。
また、派閥を禁止すれば立ちどころに党中央対個人の図式と成り、とてもじゃ無いが個人が党に対して物言う力は弱く成る。
個々の下部組織で意見を纏めても、到底上部組織までは届かない。
矢張り派閥を認め無ければ、対等に意見を述べるところまで行き着かない。
振り返って見ると、現役の時は思考停止して居た様に思う。
そうしなければ一々疑念を抱えたまま、とてもじゃ無いが行動など出来はしない。
常に突撃ラッパだった。
年中「今こそ」は国語的におかしいとは思ったが…。
さて、今日も字数が整ったのでこれ位にして置こう。
今日の朝食
今夜は冷奴&天ぷら。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。
【竹田学校】歴史・弥生時代編⑭~韓国語はなぜ日本語に似ているのか?~|竹田恒泰チャンネル2

