チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

盲信


共産党員の頃は空想的社会主義では無く科学的社会主義を学べと言うので、懸命にマルクスやエンゲルスの書物を読んだ。
それで「存在が意識を決定する」などの唯物論的知識を身に付け、科学的社会主義を学んだと自分では思って居た。
マルクス主義の3つの源泉の中に「科学的知識の総和」と言う概念が有り、観念論哲学者の著作も読む必要が有ると思い、初期ギリシャ哲学者からヘーゲルまで幅広く学ぶ事を心掛けた。
また、愛読書の「家族、私有財産及び国家の起源」については参考文献のモーガンの「古代社会」まで目を通した。
一方、道元の「正法眼蔵」やアンナ・フロイトの「自我と防衛」など、仏法や心理学にも勤しんだ。
だから自分は共産主義を盲信して居るのでは無いと思って居た。
一方、職場では労働組合の活動家として其の生涯を全うした。
ところが退職後タイ移住に依って党を離脱し、それまで忙しく顧みる余裕も無かった若干の疑念について、時に任せて振り返って見れば、党の問題点が明らかに成って来た。
その時思ったのは、信じたいと言う気持ちが有れば、冷静に判断して居る積りでも、結論は最初から方向が決まって居た様に思う。
そう言う目で見れば益々党の誤りが見えて来た。
得られた結論は180度の変換を余儀なくされた。
何の得にも成らない思想の変換はとても苦痛なもので、変換した所で今更取り返しも付かない。
そのまま盲信して居る方が遥かに楽では在ったが、座右の銘の「真理は批判を恐れない」には逆らえ無かった。
唯一つ自分を慰めるとしたら、私もGHQが敷いた自虐史観に影響された国民の大多数の一人だったので仕方が無いと言う事。
驚いた事に最近の教科書は聖徳太子を厩の王子と教えて居る。
これも偏に中教審を牛耳って居る左翼学会の賜物で、終戦後の公職追放に依り左翼が学会の上部に取って換わった。
戦後70年経ってGHQ路線がその効力を失わないのは一種驚きでも在る。
憲法を初めとして財政法4条など用意周到に図られたGHQ路線が如何に見事で在ったかと言う証左だ。


さて、どうやら字数も整ったので筆を置く事にする。
目出度し、目出度し。


今日の朝食



さて、今夜はコロッケ。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


「あつかましい」秋葉候補の応援に駆けつけるやさしい #高市早苗 !#宮城2区