チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

はじめに

まず、私が思想的な本に芽生えたのは、高校の政治経済・倫理社会の教科書だった。
其処では人生とは何かとか、人間とは何かについて語られて居た。
それまで受験勉強しかして来なかった私にはとても新鮮だった。
それで受験勉強の合間に読む様に成ったのだが、本格的には大学入学後だった。
無味乾燥な授業より面白かったので、出席が必須の語学と体育の授業以外は出ずに、専ら図書館で好きな本を読んで過ごした。
お陰で1年の時の殆どの単位が修得出来ずに4年間での卒業も危ぶまれたが、授業出席者がサボを売ってる事を知り、何とかギリギリ卒業出来た。
詰まり2年からの3年間は薄氷の思いだった。
最初は近代経済学を専攻して居たが、数量経済学など数学が苦手な私には面白く無かったので、2年からはマル経に変更した。
2年からの基礎ゼミはアジア経済論の中で中国経済を専攻した。
農業や商業など好きな班に分かれ、毎週研究成果の発表を行う事とされた。
私の選んだ農業経済班は小人数でしかも勉強熱心な人が少なく、殆ど毎週私が発表する事に成った。
ゼミの先生は党員で、中国経済のやり方はオカシイと常々仰って居た。
私は毛沢東語録などが好きで毛沢東の本を何冊も買った。
そのゼミの中に党員が居て、私を民青に引き入れた。
バレーボール同好会などでも友人が出来、楽しい学生生活だった。
図書館で主に読んだ本は心理学や仏教哲学。
心理学の分野では「良心は親の禁止に依って形成される」など、一定の知見を得た。
仏教は難解な道元の「正法眼蔵」に惹かれた。
また、西洋哲学にも興味を惹かれ、初期ギリシャ哲学者断片集やプラトンなど読み漁った。
元々、良心の根源や善とは何かなどに興味があったので、心理学や仏教以外の哲学書もむさぼる様に読んだ。
ところが肝心の知りたい事は本には書いて無いのではと思う様に成った時、柳田謙十郎の「倫理学」を書店で立ち読みして、この本に書いて無かったら読書を辞めようと思い、購入後大著を家で読んだが、遂に期待した物は得られ無かった。
それで民青の実践活動にのめり込んで行った。
一定の思考停止では在ったが、実践活動から得られる知識も有り、それなりに満足した。
卒業後は京都府庁に入り、5年後から偶々組合活動に参加する事に成った。
今から思えば其れが誤りの始まりだった。
組合活動は人間らしい活動に思えたのでのめり込んで行った。
仕事をしながら千枚の駅頭配布ビラを刷ったりもした。
教職員組合とも共闘したので、仲間意識も芽生えて行った。
そんな中で市会議員から入党を勧められ入党に至った。
其の後は紆余曲折も有りながら、大企業本位の京都府当局と対峙しながら、最後は支部の書記長で終わった。
職場の門前で共産党の朝ビラを配布したり、職場の中では赤旗を配布したり、心臓に毛が生えてる状態に成って居た。
或る時には、新しく職場に異動して来た府税事務所長に赤旗の購読を迫ったりもした。
最後は文化の香り高い京都府総合資料館を2年早く退職し、同年の6月にタイに渡った。
総じて私の現役生活は党と組合活動に明け暮れた生涯だった。
或る時、こんな事が有った。
衆議員の国対委員長が私の地元の集会に講師として来た時、「何だ、君はこんなとこに居たのか」と。
私の所属した府庁党委員会は北地区に属して居て、彼とは北地区委員会で知り合ったが、彼が私の地元が左京区で在る事など知る由も無かった。
彼は毎年、北野天満宮で正月街宣をするのが恒例だったが、私が母と初詣をする度に彼に手を振った。
また、参議院の今の国対委員長も京都出身で、或る時、私の党支部の会議に講師として呼んだ市会議員と共にやって来た事が有る。
参議院議員が何故と思ったが、一度府庁党員の会議を見てみたかったらしい。
そんなに暇なのかと思った。
また、こんな事も有った。
今の府会議員の浜田さんの選挙活動を手伝った事が有る。
当時彼は南方の選挙区だったが、小さい選挙カーの運転手として1日付き合った。
当時、妻を同乗させて居たが、帰り道のファミレスで夕食を2人で済ませた後、妻は食べ物を全て車内で戻した事が有る。
妻は子宮ガンの術後、日本に戻り、選挙活動はいつも二人三脚だった。
妻が初めて覚えた日本語は「ご近所の皆さん、お騒がせ致します。こちらは日本共産党でございます」と言うものだった。


(つづく)


今日の朝食



今夜はカキフライ。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


【竹田学校】歴史・弥生時代編⑰~世界は日本をどう書き始めたか?~|竹田恒泰チャンネル2