チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

父の記憶

父は私が高3の時に亡くなった。
それからは、母と二人暮らしになった。
余りにも早く亡くなったので、父の事を思い出すのは、何か悔しかったし、惨めになるので、父の記憶は封印して来た。
母が亡くなって3年経った。
何だか父の事を思い出したくなった。
もう、思い出してもいいのでは無いかと思う。
いや、遅きに失したのでは無いか。


父は再婚だった。
母も再婚だった。
そして、私が生まれた。
父には連れ子が有った。
兄と姉達だ。
そんな事は、父が死んでから聞いた。
もう十分大人になって居たので、それほど驚きはし無かった。
そして、兄や姉達に対する思いも全く変わるものでも無かった。
小さい頃、下の姉が「若し、あんたが一人別の子だったらどうする。」なんて事を言った記憶が蘇えったが、その時は何を言ってんだ位に思ったが、今になって、何故そんな事を言ったのか謎が解けた位のもんだった。


父が亡くなった時、兄や姉達は結婚して、既に独立して居たので、父と母と三人暮らしだった。
その頃は高校生で、何と無く父が煙たかった。


父の記憶と言えば、幼稚園の頃、父が寝て居る枕元の顔の上で、鉄の火箸を振り回したら、途端に父が起き上がり、凄く怖い顔で叱られた事を覚えて居る。
父は戦前、警察官で、戦中は憲兵となり、非常に厳格な人だった。
年の離れた幼い私だけ、とても可愛がられて羨ましかったと、後年、兄や姉達からよく聞かされた。
それから、父と母と三人で汽車に乗って居る時、私が窓の外に向かって唾を吐いたら、父の顔に当たってビックリしたが、その時の父のムッとした顔が、今でも記憶に残って居る。
中学生の頃、何故か自殺願望に取り憑かれた時が有ったが、父が新しい家の設計図を見せたり話したりしたのを聞いて、私もそれに夢中になり、いつの間にか自殺願望が消えて居た事が有った。
高校生の時、食事中、母が私に「遠慮せんでいいのよ。」と言った時、父はいきなり母の頭を突いて、猛然と怒った事が有る。
私は何故そんなに怒るのか訳が分から無かったが、母が平謝りに謝って居るので、分から無いなりに、何とか母を庇おうとした事が有る。
今では父の怒りが痛いほど分かる。
他にも父の記憶は、辿れば幾らでも有ると思うのだが、余りにも遅きに失した事を、今頃になって後悔して居る。
後、何年生きるか分からないが、今となっては、それも楽しみの一つとして、思い起こして行こう。
今迄記憶を閉じ込めたせいで、父への感謝が余りにも無かった事は、今更後悔しても始まらない。
若し天国と言うものが在るのなら、「ご免なさい。お父さん。」