何故、法を説くか
もう、この歳に成れば世の中多少変化しようが私の余生に多大な影響は無い。
だから法を説いて回るなどと言う事は徒労だ。
其処で思い出したのが大蔵経相応部経典「説法の要請」の中の一文だ。
世尊「若し私が法を説いたとしても、他の人々が私を理解してくれなかったら、それは私にとって徒労であるだけだ。」
ブラフマー神「世には其の目が余り汚れて無い人々も居ります。法をお説き下さい。やがて法を了解する者も有るでしょう。」(中略)
世尊「不死を得る為の門は開かれた。耳を持つ者は、聞いて己の盲信を捨てよ。私がこの優れた法を人々の為に説かなかったのは、それが人々を害するであろうと案じてで在った。」(引用終わり)
私は此の一文を想い、上から目線で偶には気まぐれに法を説こうと思う。
それでは何故、法を説こうと思うのか。
其れにはもう一つ理由が有る。
利他は利己。
詰まり、それは心理学的に言えば「愛他主義」とも言える。
私的に言うと、善をすると気持ちが良いと言うマスターベーション。
こう言う私の性癖に依って、今説いたい事は、特に私が後悔して止まない事。
それは私が生涯、左翼活動家として生きて来たと言う事を今に成って反省して居ると言う事。
だから今、多く居る左思想の人を見ると、見るに堪えない。
それはGHQに依る自虐史観教育が未だに続いて居るからだと言う事は以前述べた。
私の事は左翼思想から言うと「転向」した事に成り、こう言う文章を書くと、日本に居る元同志や後輩から残念に思われるだろう。
だから彼等には私が気が狂ったと思って置いて欲しい。
彼等を傷付けたくは無い。
マルクス思想で理論武装した彼等が私の言説で変化する事は無い。
歳と共に膨れ上がった信念体系は硬直化するからだ。
一部の変更など有り得ず、一旦破壊されて、全面的な変革しか有り得ないからだ。
さて、本題に入ろう。
実は最早、左とか右とかでは無い。
それはグローバリズム対反グローバリズムなのだ。
所謂、国際金融資本対ナショナリズム。
所詮、勝ち目は無い様に思われたが、此処に来てSNSの内、X(ツイッター)を極端な自由主義者のイーロン・マスクが買い取った。
それでグローバリストの検閲が無くなった。
その他マスゴミは利用者の高齢化に依って年々弱体化の方向だ。
我々はXを活用しなければ成らないが、如何せん私は歳のせいか億劫に成って居る。
唯、時々バンされるFACE BOOKなども今の所利用出来て居る。
ブログも利用出来て居るので続けたい。
私が言いたい事は、ズボラだがYOUTUBEの添付に任せる事が多い。
さて、字数も整ったのでこれにて終了。
今日の朝食
さて、今夜はすき焼き。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。
昭和の軍部はなぜ暴走したのか?【CGS 茂木誠 超日本史 第29回】

