その後
今まで何度も述べて来た様に、遥か異国の地で私がブログで何を書こうとも、私が現役時代にして来た事と比べれば、風呂の中で屁をこく様な物だ。
私が居なく成ってから入党された方も居られるだろう。
それは私の背中を見て入党されたのかも知れないし、或いはそうで無いのかも知れない。
そして労働運動も私の活動に励まされ後を引き継がれた方も多いかも知れない。
唯、労働運動に関しては、世の中に全く役に立たなかったとは思い難い。
労働条件の改善や労働環境の向上には資して来たと思いたいし、府民の基本的人権の向上にも資して来たと思って居る。
一方で、共産党の活動に関しては懐疑的である。
勿論、国民の基本的人権の向上に果たした役割も一定有るとは思いつつも、一方では誤った平和路線の弊害や、自虐史観の増長など、今と成っては取り返しの付かない自らの過ちに忸怩たる思いも有る。
この歳に成って今更どうする事も出来ない。
唯、それでも座して死を待つのでは無く、限りある命の中で幾ばくかの抗いをしようとするものである。
私は長い間、偏見の中で生きて来た。
皆さんが党員を偏見の目で見て来たと思って来た私自身が保守と思われる人を偏見の目で見て来た。
いや、右派とか左派では無く、グローバリズムこそ人民の敵なのだ。
国際金融資本、彼等こそが国の垣根を越えて人民から収奪しようとして来た。
私がこの歳に成って幾ばくかの抗いをしようとするのは、僅かながらも反グローバリズムの兆しを感じて勇気が得られるからである。
トランプの出現もその一つである。
ウクライナ紛争も中東の紛争も収束の方向に成るだろう。
そして何よりも中国の力を弱めるだろう。
唯、日本も正しい選択をしなければ同じ運命が待って居る。
何より焦った中国が危険でもある。
前置きが長く成ったが、差し当たっては自虐史観からの脱却が必要だ。
ウクライナ紛争に依って、日本の防衛談義が進み、それが自虐史観からの脱却に繋がると考えて居る。
唯、国のアカデミズムの上層部が自虐史観で染まってるから事は容易では無い。
例えば日本では他国の国旗を燃やしたら刑法に問われるが、日本の国旗を燃やしても問われない。
日の丸を国旗と認めるかどうかは意見の分かれるところだが、外国では一旦それが国旗と決まれば万人に法が適用される。
日本では表現の自由の名のもとに処罰されない。
変な話だが、これも自虐史観の影響を受けて居る。
次に憲法前文の話、「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」此処にまやかしが有る。
自国の政府に依ってと言うよりも、世界の軍事バランスの不均等に依る事の方が常である。
そして兵器を売りたいグローバリストのせいでもある。
近年では軍需産業よりも製薬会社の利潤へのシフトも有る。
日本がWHOに最も加担して居ると言う恥ずかしい面も有る。
WHOは各国に緊急事態宣言を出させ、強制的にワクチを接種させる目論見で、その小委員長を日本人がやって居る。
しかし、各国民の反対で未だ成立して居ない。
さて、私は味覚も変わり、どうやら単なる亜鉛不足では無く、回復の兆しは無い。
体調も一進一退で、足の浮腫みも取れず、利尿剤も効かなく成って居る。
何より何を食べても美味しく無いと言うのが一番残念な事で、田原総一朗が90で毎朝レタスとトーストを美味しそうに食べて居るのを見ると羨ましい。
矢張り人間食べる事の楽しみと言うのは大きい。
今は美味しいと思えるメニューも少なく成り、この先の人生の楽しみも、もう一度考え直さなくては。
今日の朝食
今夜は冷うどん&茶碗蒸し。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。

