チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

追記(自叙伝補足)


昨日で自叙伝は終わりにしようと思って居たのだが、もう一つ忘れて居た事が有る。
それは私の心にいつまでも離れない想い。
新採時に盲学校の学校事務に配属された同期の人が居た。
彼は関大だったか近大だったか忘れたが、とても大人しい控え目な人だった。
同期会で一番気の合う人だった。
私も大人しい性格だったのに、何故私が同期会を作ろうと思ったのかは、教育長の辞令交付式で突然私に代表挨拶せよと言われた。
公務員の本旨を適当に喋ったが、20人ほど居た中には他に京大卒も居たのに、恐らく採用試験の成績が一番良かったのだろう。
学校事務の同期の大卒は5人居た。
私は晩年に成って、若し私が彼が配属された盲学校だったら、一生其処に留まって居ただろうと思う様に成った。
と言うのも、盲学校の事務室の雰囲気はとても良いのではと思われた。
実は其処の事務長は私が採用された高校からの異動で事務長に成られた。
栄転と言う事に成る。
歓送迎会で一緒に成ったので彼の事はよく分かった。
優しくて民主的な人だった。
しかも生徒が障害者だから大人しい生徒ばかりの筈だ。
一般高校はやんちゃな子も居る。
だから窓口業務の雰囲気も異なる筈だ。
そして彼はいつもパチンコに通って居たと。
同期会の時に言って居た。
彼の家の最寄りの西京極駅前にはパチンコ店が有った。
浪費しないのかと聞くと、トントンだが肩が凝ってると。
他に趣味も無かった様だ。
そんな調子で小遣いも大して使わず、着々と貯金して、割と早く滋賀県に家を建てた。
大津市近郊の新団地だった。
通勤が大変だろうと思ったが、彼は一切異動しなかった。
他の者は皆5年で学校から異動したのに。
居心地が良かったのだろう。
そして彼が結婚したと聞いた。
結婚式の相手の写真も見せて貰ったから直接彼に聞いたのかも知れない。
しかし、彼は間も無く癌で亡くなったと聞いた。
これからと言う時だったのに…。
あっけ無かった。
残された奥さんは家だけ残った。
大人しそうな人だった。

何の癌かは聞いて無いが、恐らく肺癌だったのでは。
受動喫煙が最も癌に成り易いと聞く。
私ならマスクをしただろうに。


採用の内示前に「障害児教育に興味は有りますか?」と聞かれた時、ハイと答えて居れば私が盲学校に成っただろう。
私はいつも思う。
若し盲学校だったらずっと異動しないで私も退職まで留まっただろうと。
しかし、以前の私は学校事務は恥ずかしくて結婚も出来ないと思って居た。
でもタイ人と結婚するなら関係無い。
唯、採用時にそんな事は想像出来る筈も無い。
今から思うと他の職場を転々とするより遥かにストレスは少ないのではと思う。
特に府税など。
唯、退職前は電子決裁が採用されて難しく成った。
いや、学校事務なら事務長の決裁さえ有ればと思うのだが…。
校長の決裁が必要だとしても事務的な事は事務長が行う。
実にシンプルな決裁だ。
本庁では有り得ない。
まあ今と成っては夢の話。
若し生まれ変わったらと言う話。
バレー部にも入らないかも知れない。
練習がキツかった。
でも頑丈な体は出来た。
タイムマシンが有るのならバレーを卒業した所から始めたい。
いや、ナンパし損なったからバレー時代でも良かったかも…。


(完のつもり)



今日もとても涼しかったが喫茶店に行ってシャンとした。
メロン・スムージーの中毒に成ってるのかも。
食べ終わると上唇がメチャ冷たい。
最近やけに喉が渇くので糖尿の薬を1錠増やした方が良いのかも。
コーヒー・スムージーをいつも追加してる。
そうそう、冷たい飲み物は腎臓に悪いけど止められ無い。
今度の検査が楽しみだ。
少し早めようかな。


今日の朝食


さて、今夜はヤムウンセン(春雨サラダ)。
いつも美味しい料理をありがとう。