日本の思い出
毎日毎日、ネタも無いのに虚栄心のせいで続けなければ成らないのが本当に困る。
今日は読む積りも無かった仏教の本を昨日の続きで引っ張り出した。
まだ日本に居た若い頃、学会員であった小学校の幼馴染が自分の持って居る「俱舎」「中観」「唯識」の本を勧めるので、仏教なら中道だろうと「中観」を読む事にした。
買ったのは「空の論理」〈中観〉角川書店。
彼とは小学生時代気が合ったのでよく遊んだ。
彼は貧しい長屋に住んで居て、母子家庭で、お母さんが学会員で毎日経を上げて居た。
大人に成ってから彼と会った時は、彼も学会員に成って居た。
それからはレコードを借りたり、本を借りたり、また付き合う様に成った。
今から思えば彼が何処に就職して居るのか訊いた事も無かった。
私が大学に行って居ると言うと、羨ましそうだった。
高校に行ったのかさえ訊くのを躊躇った。
そして、交流が途切れて彼の家に行った時、長屋は既に取り壊されて居た。
勿論、携帯など無い時代だったから、その後の彼の消息は分からない。
一度、街で見掛けた事が有る。
私は運転中で止まる事も出来なかった。
あの時、声を掛ければ良かったのだ。
彼は自転車で逆向きにすれ違った。
そう言えば、一度、彼に誘われて学会の集会に参加した事が有る。
皆さん心温かそうな人達ばかりで、当時、民青だった私の集団と何か似通った雰囲気を感じた事をよく覚えて居る。
日本に居たなら兎も角、タイに住んで居たら二度と会う事は無いだろう。
そう思うと、彼に言われて買った「中観」の本は、彼の忘れ形見の様な気さえする。
私がクラシックフアンに成ったきっかけは、彼がプロコフィエフの「青春」と言うレコードを聴いて見ろと言うので一ヵ月毎日聴いた。
彼が痺れを切らして返せと言うので返した。
その時からクラシックに嵌った様な気がする。
今頃彼はどうしているのだろうか。
彼は決して幹部に成る様な性格では無く、今も清く貧しく生きて居る姿が想像出来る。
今日の朝食
さて、今夜はおでん。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


