チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

家族の事(自叙伝補足)

(昨日のつづき)


人事異動は3年若しくは5年と言われて居た。
府税事務所は基本3年で動いて計9年だった。
植物園は5年だった。
家から車で5分。
近過ぎてマフラーが傷んでしまった。
温まるまでに着いてしまうのでマフラー内に蒸気が残るのだ。
概して近くの勤務地が多かった。
資料館も5分。
府庁も10分。
大学も10分だった。
教育局と保健所を除き、他は全て京都市内だった。
考えて見れば恵まれて居た。
通勤ラッシュの経験が無い。
唯、保健所の通勤だけはハードだった。
狭くて急峻な峠を二つ。
冬は凍て付いて滑った。
それも2年。
職場の回りは山の自然に囲まれて居た。
管轄地の美山町の山の煙を見て、退職後は此処に住みたいと思った。
タイに移住後、3人で此の地の温泉に訪れた事が有る。
やっぱり行楽には良いが住むには暖かい方が良いかも。
実は妻の姪を京都の日本語学校に通わせた事が有る。
其の時、美山町の人と見合いをさせた。
若し結婚して居たら今頃どんなに成って居ただろう。
彼女は今、タイで幸福に暮らして居る。
私も日本人と見合いをして結婚して居たら、今頃…。
人生とは分からないものだ。
今は暖かい地で暮らしてとても幸福だ。
毎日、日本と変わらない和食で…。
妻はタイ語で喋って、私は日本語で返して居る。
認知症に成れば彼女は日本語で問い掛けてくれるだろうか(笑)。
そう言えば、いつも「ご飯出来た!」と言って居る。
自叙伝が直ぐ今の話に成ってしまう。
妻とはよく日帰り温泉に行った。
京都の隣県の温泉は殆ど行った。
富士山にも行った。
南は湯布院の近くの長湯温泉。
炭酸温泉で有名だ。
其処に姉が住んで居る。
義兄が退職後移住した。
私が日本に住んで居たら度々行っただろうに…。
もう1人の姉は宝塚。
百万ドルの夜景。
皆散り散りばらばら。
兄は早く他界した。


(つづく)



今日はいつもの喫茶店が休みなので、少し遠くのGREEN HOUSEに。
すると「久し振りネ」と言う笑顔で出迎え。
迷わずブルーベリー・ホーラパー(バジル)スムージー。
少し高めの80バーツ(≒320円)
一味違う。
そして、その前に散髪。
此の店も80バーツ。
馴染みの店で一番安い。



今日の朝食。


さて、今夜はイカ焼き。
いつも美味しい料理をありがとう。

府税職場の頃(自叙伝補足)


(昨日のつづき)


学校から同じ時期に教育局に異動して来た者は私より先に他に異動した。
私は其のまま支部の執行委員で留まったが、新しく来た者が分会長をした。
私より少し年下の京大卒だった。
彼はバトミントンが好きで、よく私を誘ってくれた。
管内の学校の体育館を借りた。
その学校から教育局に異動して来た者が居たのだ。
知事選の時は票読みの点検を私が彼にしたが、毎日するので、「毎日増える訳無いでしょう」と彼は泣き事を言った。
後に彼は税務課長と成り、知事公室長に成った。
彼が税務課長の時、私は府税支部の執行委員で、支部役員全員が一番前に座って彼と交渉する。
その頃の私は心臓に毛が生えて居て、居眠りをしそうに成る。
と言うのも、支部長が殆ど喋り、課長の回答も長々と冗漫だからだ。
交渉後、彼は私に近寄って来て、「お母さんはお元気ですか」と。
そう言えば、新任の府税事務所長が異動して来た時「赤旗を取れ」と迫ったら、「京都民報で堪えてくれ」と。
京都民報は共産党系の地方紙だ。
本部交渉の翌朝は支部役員が交渉の職場報告を時間中にするのが恒例に成って居た。
いつも原稿を用意するのが大変だったが、書記長が「府税新聞」を朝にファックスしてくれるので参考にした。
窓口担当は来客が有れば対応するが、来客者は「何やってんだろう」と奇異に思ったかも知れない。
電話が掛れば皆机の下に屈んで対応した。
次長や課長にも「府税新聞」を配るので、「フムフム」と読んで居た。
そう言えば、同じ係に反主流派の組合のボスが異動して来た。
交渉報告の時は妨害されるのではと
冷や冷やして居たが、結局何も無かった。
他の人の話では彼は私を尊敬して居たと。
定期大会ではいつも反主流派とは喧々諤々だった。
それと、職場の課会議の時に係長が「昼窓の支部の見解はどうなんですか」といきなり私に振って来た。
当局の会議なので躊躇した。
組合の意見を言うと組合会議に成るので…。
すると反主流派のボスが「組合さんはどうなんですか」と。
已む無く支部の見解を述べた。
課長は只聞くだけだった。
統合前の事務所は小さく、昼は収納係が交代で対応して居たが、その際、他の部分はカーテンを閉めて居た。
大きな事務所に成ると、カウンターが長くてカーテンも無く、仮に有っても一々閉めるのも大変。
其処でカーテンは閉めないと言う方向だった。
仮に開けて居てもガランとした部分が大部分なので、昼休みと言う情景は歴然として居る。
唯、弁当を席で食べてる者も居るので来客者から見えれば何か言われる可能性は在った。
そう言えば区役所はどうして居るだろう。
何だか遠い昔の話の様な気がする。


話が直ぐ府税の話に成ってしまうが、やはり一番長かったせいかも知れない。
夢も殆ど府税の夢が多い。
ストレスも多かったが、組合でも色んな経験をした。
最近漸く現役の時の夢は減って来た。
今は家族の夢が増えた様な気がする。


(つづく)


市場


ところで今日は或るYOUTUBEを見て今更ながら愕然とした。
WHOの会議だが、出席国が3分の1ほどで定足数を確認しないで決議して居る。
出席国から異議が出ても、出席国の過半数の賛成でOKだと。
決議の内容は、今後パンデミックが起こった場合、一部の製薬会社が利益を独占して良いと言うもの。
詰まり、今後またパンデミックを起こされる可能性が在る。
日本政府はこの決議を是認する様だ。
まあ、私は今はどうでも良いのだが…。
我がチェンライ日本人会でも定足数無しで成立する。
まあ、どうでも良いのだが…。


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今日の朝食はクィッティアオ(うどん)。
ちょっぴり辛い。


さて、今夜はうな丼。
いつも美味しい料理をありがとう。

妻との出会い(自叙伝補足)

(昨日のつづき)


最初の勤務地の学校事務の5年間は1日も年休を取らず、何かそれが美徳の様な事務所の雰囲気だった。
次の教育局の時代は組合役員をしたと言う事も在って、権利に目覚め、体制に反抗する様に成った。
役員仲間とよく飲みに行った。
その後も付き合いが続き、結婚式の司会を頼んだ。
府職労現業議長と福祉支部長、それに教育局の同志の3人に。
すると当時、府税職場だったので、府税支部長が支部主催にすべき(笑)と言って、役員を動員した。
同じ府税職場の同僚で飲み友達でも在った本部の書記次長も参加してくれた。
お陰で親族対労働運動家と言う変わった構図の披露宴と成った。
彼女の親族は呼べ無かった。
彼女の実家でも式を挙げた。
渡タイを繰り返す内、空港のタクシーの運転手と知り合いに成った。
彼は夕方いつも競技場内をジョギングするので私も倣った。
彼は奥さんと結婚する時にイスラムに改宗したと言って居た。
彼の家にも行く様に成り、やがて女の子を紹介してくれと言った。
其処で妻と出会う。
妻は仏教徒。
私は仏教徒では無いがキリスト教徒よりは親和性が有る。
いや、それより彼女は大人しかった。
今とは大違い。
唯、声の柔らかさは今も同じ。
彼女は10年間一緒に日本で暮らしたので料理が上手。
姉が驚いて居た。
黒豆の煮炊きが日本人より上手だと。
唯、彼女は日本料理は余り食べず、夜は即席ラーメンをよく食べて居た。
可哀想だと思ったが、実は昼の間、京都市内をグルメ旅行して居たのだ。
土日に外食すると彼女の方がよく知って居た。
それで初めて気付いた。
昼の内にご馳走を食べるので夜は小食なのだと。
トロとかウニが好きだった。
イクラも。
でも回転寿司にもよく行った。
琵琶湖の近江舞子にもよく犬を連れて行った。
帰りは王将。
市内でも王将にはよく行った。
但し餃子は旨い店が在った。
「ミスターギョーザ」、行列の店だった。
夕方に成ると奥さん達がタッパーを持って並ぶ。
ラーメンも旨い店が在った。
「天下一品」。
こってりが旨かった。
妻も大好き。
結婚は滞納税担当の時だったから、ストレスは妻が癒してくれた。


(つづく)



今日は久し振りにプールに行った。
4日振りなので少しは水も温かく成ってるかと思ったが、相変わらず冷たい。
やっぱりPM2.5のせいだ。
1時間で切り上げて輸入食品店に行ってバスクリンを買った。
お気に入りの「ゆず」が無い。
仕方が無いので「ジャスミン」を買った。



その後、いつもの喫茶店に。
帰り際に、「次の月火は休み」だと。
余り客が来ない店なのに休んでいいのだろうか。
そう言えば定休日が無いのも珍しい。
今日も貸し切りだった。



今日の朝食


さて、今夜はトムヤムプラー(魚スープ)丼。
いつも美味しい料理をありがとう。

大学時代(自叙伝補足)

(昨日のつづき)


そう言えば今まで随分と本を捨てて来た。
受験参考書の赤尾好夫の英語の綜合的研究、矢野健太郎の難問解法のテクニック。
今では何の役にも立たないがもう一度見てみたい。
予備校の世界史の教科書が分厚くて、余計に成績が悪く成ったのだが、
今読めば教養が身に付く良い本かも知れない。
それらは絶版に成ってるが、高校の教科書だけは退職する頃に再び買った。
レコードも一度引っ越した時に捨ててしまった。
レコードなどもう聴かないと思ったのだろうか。
今はまたブームに成って居る。
それでもCDやMD、カセットテープは何100枚とタイに持って来た。
書籍も全て持って来た。
哲学書や仏教、心理学など100冊以上有る。
古くは「バラモン経典・原始仏典」「大乗仏典」「孔子・孟子」「老子・荘子」「プラトン」。
新しくは「反デューリング論」「自然の弁証法」「唯物論と経験批判論」「古代社会」。
新しくは無いか(笑)。
愛読書は道元の「正法眼蔵」とアンナ・フロイトの「自我と防衛」。
大学時代は「如何に生きるか」が最大の関心事だった。
その際「善く生きる」が私にとって重要な基準だった。
心理学的には愛他主義の性格だった。
そして「善とは何か」「人間とは何か」が次の命題と成った。
高校の「倫社・政経」の教科書にそれらしき事が書かれて居たので、哲学書を読みあさった。
そして本屋で哲学以外にも目が行き、関心が広がって行った。
古本屋巡りもした。
しかし、「善とは何か」については中々核心を得られる本は無かった。
そんな中で柳田謙十郎の「倫理学」を立ち読みして、この本に書いて無ければ読書を辞めようと思った。
家に帰って読んで見たが、周辺の事は書いて有るが知りたい事は書いて無かった。
結局、本からは得られないと思い実践活動に飛び込んだ。
当時、寺山修二の「書を捨てよ、町に出よう」と言う言葉が胸に刺さった。
其処で民青に入った。
心理学で得た事が一つ有る。
「良心は親による禁止から生まれる。」


実は悩んで居る事が一つ有る。
マルクスやエンゲルスの本を読んで共産主義に傾倒したが、近年、疑問が生じて居る。
GHQの教育政策によって、自虐史観に染まって居るのではと。
唯、小学生の時の悪童達が自民党の選挙事務所に詰めて居る一方、私の回りの共産党員達は優秀な人達だった。
そして民主集中制や派閥禁止にも疑問が有る。
中央委員が幹部会委員を選び党首を選ぶのだが、其処には選挙と言う名の押し付けしか無い。
派閥を禁止すれば個人対党の関係に成り、党が絶対的な権力を持つ。
下級機関は上級機関に逆らえないからだ。
自由にものが言える仲間が集まり、それが小派閥、大派閥と成って初めて対等に主張出来る。
共産党はボトムアップと言いながら基本は上意下達。
専従組織の弊害だろう。
いや、何処の会社でも組織である以上は同じだろう。
専従員は上の命に従わなければオマンマの食いあげ。
専従組織無くして大きな党が成り立たないとしたら、それは両刃の刃。
年中、突撃ラッパで、年中「今こそ」は国語的にオカシイと思ったが、専従員は国語力が無い。
上の方も地位が約束されれば人間的に弱く成る。
その地位を守ろうとする。
いつでも平の党員に戻る覚悟が必要。
いや反論すれば圧力が掛る。
これも会社組織なら同じかも知れない。
唯、派閥の禁止については共産党は徹底して居る。
病的なまでに。
精神を病むほどに。
自虐史観については多くの国民が陥ってるので此処で説明は難しい。
父が「我々は追い込まれて戦争したんだ」と話したので、子供心に変だと思った。
既に子供心に自虐史観が植え付けられて居たのだ。
昭和30年代だったと思う。
石油を止められたから軍国主義に走ったのだと。
いや、石油が無いなら無いで、生きて行く道が在ったのかも。


(つづく)



今日も良い1日だったが、結構暑かった。
クーラーを掛けてゴロゴロして居ても良いのだが、冷房の効いて居る喫茶店に行こうと思った。
やはり着くとシャンとしてブログを書く気に成った。


今朝はどう言う訳か手作りのシューマイ。
タイ味のシューマイは初めて食べた。



朝がご馳走だったので夜は質素に。
いつも美味しい料理をありがとう。


振り返り(自叙伝補足)


(昨日のつづき)


さて、急ぎ足で書いて見たが、思い出した事が他にも有る。
これから所々補足して行きたい。
時間は有り余るほど有る。


まず小学校4年位だったかソロバン教室に通った。
嫌だったが、あの独特な部屋の匂いは今思うと懐かしい。
3級に成っても暗算が苦手だった。
今から思うと習字教室に通わせて貰った方が良かった。
字がとても下手だ。
これでパソコンが普及しなかったら酷い人生だったろう。
字を書く事から逃げ回って居ただろう。
ブログを書いて皆に見て貰うなど飛んでも無い事だ。
デジダル社会は人間に冷たいと言うが、人間に優しいのでは…。
5年生から地元の有名な英会話教室に通った。
学校では学級委員もして頭は良かった方だが、其処では劣等生だった。
何しろ皆学級委員で他の有名な私立学校からも来て居た。
其処ではいつも劣等感を味わった。
唯、そのお陰で発音は今でも自信が有る。
通ったのは6年までだが、タイに来てアメリカ人に発音を褒められた。
小学校の時は何故か講堂の掃除を頑張った。
掃除大臣と言われた。
当番の日は真っ先に講堂に行って床を雑巾掛けする。
すると後ろに皆が続いて一斉に並んで端から始める。
並んですると拭き残しが出来ず効率が良いのだ。
そんな性格のせいか、担任に可愛がられて学級委員に成った。
学級委員は前期と後期で交代した。
もう1人の学級委員からは「人気取りか」と言われたが、へ~と思った。
彼がマセて居たのか私が晩熟だったのか。
一時期一緒に遊んだので、同窓会でも彼とは仲が良かった。
中学校では新聞部に入った。
部長をした女の子は凄く利発だったが、後年、同窓会の写真を見せて貰ったらちょっと変な人に見えたので、人間分からないものだと思った。
高校時代は練習に明け暮れて同じクラスで友達は出来なかったが、浪人したら何故か高校の同じクラスの人達と友達に成りよくサッカーをした。
でも大学に入ると散り散りに成った。
大学2年からはバレー同好会に入ったが、地元の和尚さんが何故か私を夏盆の運転手に雇ってくれて、車を使っても良いと言う事だったので、女子バレーのお気に入りの子とドライブした。
しかし晩熟だった私は長く続かず其れっ切りと成った。
一体私の学生時代は何だったんだろう。
義兄の車を大破してしまい、少しでも弁償しろと実兄に言われ、牛乳配達などをした。
実は私が免許取り立ての頃、義兄が高速道路でいきなり交代しろと言って運転したら横転した。
いや横転どころか逆さに成って止まった。
命が無いところだった。
それで色んなバイトをしたのだが、引っ越し手伝いとかアルサロのウェイターだとか。
実はアルサロのウェイターは雇って貰えなかった。
お坊ちゃんはダメと言う事だったんだろうか。
時給は良かったのだが…。
それでレストランのウェイターをしたが、流行り過ぎで耐えられず1日で辞めた。
岡崎に在る「テラス伊達」。
腕が棒に成った。
皿を手に持って、しかも関節にもう1枚乗せて3枚同時に運んだ。
これも時給は良かったのだが…。
後は夜の祇園の駐車場のバイト。
これは暇過ぎて耐えられ無かった。
工場のバイトには色んな人が居た。
要領をかます人。
教え子をかどわかした元教員。
その時も一緒に住んで居た。
何故か私も可愛がって貰った。
其処の人間模様は面白かった。
一番長く続いたのは牛乳配達。
折角、朝早く起きるので2人分回った。
元々朝は弱いので1人分700円の為に早く起きるのは馬鹿らしかった。
昼の配達もした。
小売店回りだ。
適当に卸して確認もしないし、私も一々覚えて無いのに一体勘定はどうしてたんだろう。
今でも覚えて居る「雪印ローリー」。
あの味が忘れられない。
好きなだけ飲めた。
今はもう無い。
金持ちの家だけゴールド牛乳。
1リットル瓶を3本届けた家も有る。
毎日だった様な。
軽トラでの配達だが、雨の日にバックでぶつけた事も有る。
そのバイトで運転技術が磨かれて行った。
冬はガラスが凍り付くので熱湯を掛けて貰うのだが、見えない時は窓から首を出して運転した。
そう言えば昼は学生食堂で食べた。
家が近いので必要性は無かったのだが…。
バレー同好会の時、バザーの準備で3日徹夜した事が有る。
銭湯の湯に浸かって居る時、眠ってブクブクと沈んだ。
毎日バイクで通ったが、雨の時はどうしたのだろう。
余り記憶が無い。
タイでは傘を差して運転する。
毎日図書館で好きな本を読んで過ごした。
もう一度タイムトラベルで戻りたい。


(つづく)


(市場)


今日も良い1日が終わった。
夕食後、満腹に成ってベッドにゴロン。
まだ、ブログアップの仕事が残って居た。


今日の朝食


さて、今夜は軍艦巻き。
いつも美味しい料理をありがとう。