チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

高校時代の思い出


何の脈絡も無しに、昔のことが突然頭に浮かぶことが時々ある。
それも食事時に多い。
高校時代の学園祭の模擬店で、中華そばを作っている時の写真。
これは写真に残っていて、アルバムに貼ってあるからこそ、思い出すのであって、
模擬店で、これ以外のことは中々思い浮かばない。
辛うじて覚えているのは、生麺を家の近くのそば屋さんで買ったことぐらいである。
中華そばの模擬店をやったのは、私が2年の時だから、
何故私の家の近くのそば屋さんで買ったのか。
だって2年生だから、先輩の言われるままに動いていたのだから、
そんな大事な生麺の仕入れを私がするのは不思議な話だ。
大人しい私が、近所のそば屋さんのそばは旨いと強行に主張するなんて、
今から思っても考え難い。
それと不思議なことに、私が3年になった時の模擬店の記憶が無い。
よく考えて見ると、夏の国体が終われば、3年生は退部するのだ。
そして、学園祭は秋にある。
だから私が3年の時は模擬店をやって無いのだ。
そうすると、何故私が2年の時に、先輩の言いなりになっていたんだろう。
3年生はとっくに退部しているはずだ。
だが言いなりになっていた記憶は確かにある。
やっぱり国体後、2年生が私一人になって、先輩達は心許無かったのだろう。
そして、2年生が一人だから、部室にも来やすかったんだろう。
退部してもまだ心はバレー部員だったのかも知れない。
逆に私の場合は、退部したら部室には行きにくかった。
もう既に天下は明け渡した感があった。
私の1年下も2年下も大勢いたからだ。
しかも、私が3年の時の戦績が良く無かったことも大きな一因だ。
それで、退部後も私は後輩の指導にも殆ど行かなかった。
勿論受験勉強で忙しかったこともあるのだが…。


前にも書いたが、私の所属していた男子バレー部は、
進学校でありながら全国3位と言う成績を私の3年上の先輩達は残している。
その内の一人は、当時、全国ナンバーワンアタッカーと言われていたらしい。
唯、私が3年の時は、その名門の伝統を守れず、府内予選1回戦敗退となった。
そして、私が退部したら直ぐに、府内でシード校になった。
自慢にもならないが、そんなとこに所属していたと言うことだけでも自慢したい、
話相手の無くなった爺の戯言と思し召し下さい。

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