チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

偏見

偏見が真実を曇らせる。
この歳に成って真実などどうでも良いのかも知れないが、私は昔から真理を追い求める性格だった。
いや、それ以上に善を追い求める性格だった。
これは心理学上の愛他主義なのかも知れない。
兎に角、両親からはその様に育てられた。
父は曲がった事が嫌い。
弱い者の味方。
母も子供の頃、金持ちに一番を譲りなさいと先生に言われて悔しかったに違いない。
成績は一番だった。
小学校の図書室にソ連の計画経済を賛美した本が置いて在った。
高校時代は体育会の封建的なクラブで鍛えられたが、小学校の記憶がその伏線と成ったのか、大学に入っても共産党アレルギーは無かった。
2年の時に近代経済学からマルクス経済学に変更したのも一つの分岐点だった。
善とは何かを追い求めて行った時、民青や共産党を避けて通る事は難しかった。
今でも私の偏見を助長しているのは、私の回りの党員達は頭脳明晰で人格高潔な人達だったのに、自民党の選挙事務長や周りの人達が生活の為なら思想などどうでも良い碌でも無い人達だったから、未だに思想の転換に苦慮して居る。
また、創価学会の幹部はこすっからい人達なのに、一般会員は清く心温かい人達だった。
党員の頃は一般の人の党に対する偏見と闘った。
余りにも共産主義の事を知らないからだ。
一方、党の間では反共産主義の人達を「反共」とレッテル貼りをした。
一々まともに向き合う気も起らなかった。
自分達は正しいのだと思って居た。
今思えば党にも間違いは有る。
それを素直に認めない体質こそが決定的に問題で在る。
だから政権を取れば危険だ。
昔はソ連の核実験を肯定して居た。
今は如何なる核実験も「一貫して反対して来た」と言って居る。
唯、私が党を離れてからは党は衰退し、最早、政権奪取など夢のまた夢。
そのほころびも見え隠れして居る。
一方、自民党も利権構造は激しいが、中には国士も居ると言う事が分かった。
唯、グローバリストからの脱却は困難だ。
いざと言う時には何時でも強権に訴えられる。
トランプも命が続くかは分からない。
若し日和ったら生き長らえるだろう。
いや、実のところ、この歳に成って偏見がどうのこうのなどはどうでも良い。
どう転んでも私の生きてる内に陽の目は見ないだろう。


今日の朝食



さて、今夜はタイラーメン。
いつも美味しい料理をありがとう。