チェンライの日々の新着ブログ記事
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ミャンマー人の彼女の出身は、シャン州のタウンジー県、標高1,400メートルの高地で冬は結構寒いと言って居た。 ネットで調べて見ると、冬の1月の平均最低気温は7.4度となって居る。 京都より遥かにましだ。 真夏の4月の平均最高気温は28. 8度となって居る。 これも京都より遥かにましだ。 マンダレー... 続きをみる
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義姉と一緒に妻はまた実家に戻った。 姉妹揃って大事な話が有るんだろう。 バンコクに住んで居る一番上の姉は、年に一・二度位しか帰って来ないし、 三番目の姉も、娘が居るバンコクの近くの町と実家とを行ったり来たりして居るから、中々顔を合わせる時が無い。 生き残って居る三人で、財産相続の話でもして居るのだ... 続きをみる
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チェンライに来て、怠惰な日々を過ごして居たが、 友人繋がりで、ごく近所に日本人が住んで居る事を知り、間も無く昵懇となった。 そんな彼が実は大変なジャズマニアで、私も実はジャズフアンだった。 それで彼がCDを千枚ほど持って居ると言うので、 貸して貰ってダビングをした。 毎日百枚位ダビングをして、器械... 続きをみる
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一昨日領事館に行った時、偶然、チェンライの在住日本人と会った。 他に二人青年が来て居たが、彼らはチェンマイの人だろう。 だって、チェンマイの在住者はチェンライの在住者数とは桁が違う。 だからチェンライの人と出会う確立と言うのは、全く稀と言う事。 例えば10人居たら、一人がチェンライと言う割合だ。 ... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後1カ月経ちました。 『ソンポーンとソムラック』 「あのね」 「何だ」 「やるか?」 「えーとね」 「なあに?」 「こうだ!」 「何くそ!」 「どうだ!」 「まだやるか!」 「もう止めた。」
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後1カ月経ちました。 『ソンポーンとソムラック』 「何か無いかな?」 「つまんねぇ」 「あれっ!」 「こっちか!」 「何だ」 「俺はこれ!」 「カジカジ…」 「ペッ、不味い!」 「何だコリャ」 「何?」 「あっち行こ!」 「おしまい。」
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昨日も在住の友人からプールのお誘いが有った。 一人で水掛け合戦には行き辛いので、渡りに船だった。 曇空だったが、一昨日よりは若干陽も照ったりしたので、多少の日光浴感は有った。 昨日も貸し切り状態だった。 唯、殆ど曇空だったので、上がると寒いので、殆ど水の中に浸かって居た。 家に帰る途中も、行く途中... 続きをみる
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私がYouTubeを見る様になって、それまでのレコードやCDには無い、音楽?の魅力に出会う事になった。 毎年大晦日に、東京都渋谷区のBunkamuraオーチャードホールで行われる、クラシックコンサートを生中継するテレビ番組で、午前0時に曲を終了しようと言うコンセプトのもと、「クラシック音楽でカウン... 続きをみる
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昨日は在住の友人からプールのお誘いが有った。 一人で水掛け合戦に行くのも気が引けて居たので、丁度良かった。 唯、曇空で、寒く無いのかと言ったら、大丈夫、水の中に浸かって居たら寒く無いとの事だった。 行って見ると、団地の中のプールで、大人80バーツ(約260円)、子供40バーツ。 とても良い環境で、... 続きをみる
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妻は実家に行ってしまった。 親族集合と言う訳だ。 墓参りの時は呼ぶからと言って出掛けた。 私は別に彼女の親族と、特に会いたい訳でも無いし、第一話題が合わない。 「元気か?」位のもんだ。 まあ、「これ喰うか?」位の事は言ってくれる。 と言うより、そう言う事は、妻の専権事項だ。 夫婦の領分を犯してはい... 続きをみる
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私がまだ若かった頃、ベートーヴェンの田園や運命しか知らなかった頃、 小学生時代一緒によく遊び、再び付き合う様になった友人が、 これを聞いて見ろと、プロコフィエフの交響曲『青春』のレコードを貸してくれた。 私はその曲がとても気に入り、何度も聞いているうちに、随分長い間借りてしまった。 漸く返却して、... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後1カ月経ちました。 『喧嘩の時間、再び!!』 「もう行くよ!」 「一休み」 「もう一度!」 『草履かじりの時間』
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気楽な年金生活で、ごろごろした暮らしには、ブログとYouTubeが何よりの楽しみとなる。 しかもタダだ。 こんなありがたい事は無い。 特に私の様に海外で暮らす者にとっては、近くに日本のレンタルCDが無い中で、 このYouTubeと言う物が、一昔前には無かった事を思うと、 実にありがたい時代に生きて... 続きをみる
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いよいよ今日からソンクラン(タイの水掛け祭り)が、始まった。 夕方には、バンコクから、妻の姉や姪夫婦がやって来る。 チェンライの田舎に里帰りと言う訳だ。 ここに来て、昨日の午後6時の温度は32度。 これなら水を掛けられても、何とか我慢出来る。 つい5-6日前頃までは、乾季なのに雨が降ったりして、 ... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後1カ月経ちました。 『喧嘩の時間』 「もう行くよ!」 『椅子かじりの時間』 「もう飽きた」 『昼寝の時間』 「あれっ!一人だけ目を開いてるよ」 『ポーズの時間』
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妻が友達から聞いた話では、「今度出来た寿司屋は不味い。デパートの中のFUJI食堂や弥生軒の方が美味しい。」と言う事だった。 そんなはずは無い。 だって板前が5人も居る店が、FUJI食堂や弥生軒より不味いはずが無い。 若しかしたら、本物の味をタイ人は知らないので、却って不味いと思って居るのでは、なん... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 「何かあるの?」 「あのね・・」 「チョット狭いな」 「やっぱり止めた!」 「今度は僕が」 「ヨイしょっと」 「それっ」 「もうアキタ」 「これがいい」 「はいポーズ」 「僕も!」 「何してんの?」
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以前は年に一度は帰国して居た。 殆どが常宿の嵐山のマンスリーだった。 桜を見る為4月に帰国するのが常だったが、その年は5月に帰国した。 日本に住んで居る時、5月のツツジは、長岡京市の長岡天神のツツジを、しばしば見に行くことはあったが、嵐山に行くことは無かった。 嵐山は、あくまで、桜ともみじの名所と... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 『やっとお外へ!!』 「ウロウロしちゃダメよ!」 「こっちに来てなさい!」 「まだウロウロするのっ!」 「しょうがないわネっ!」 「ホラホラッ!」 「それ行けっ!」 「ちょっと~!」 「ダメッ!」 「コラっ!」 「もう帰りましょっ」
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日本の家を処分してからは、 帰国時は嵐山の安いマンスリーを利用するようになった。 でも、母が倒れてからもう5年以上帰って居ない。 前の家を懐かしく思うのは当然だと思うのだが、 何故か嵐山のマンスリーがやけに懐かしい。 そして、嵐山の業務スーパーに車で買いに行った時の事も…。 マンスリーは、独身用だ... 続きをみる
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今日、レタスとホウレン草をデパートに買いに行ったら、近所の日本人に会った。 早速、新しい寿司屋の事を聞くと、一度行ったとの事。 2時間待ちと言う事で、帰って来たと。 食い放題が400バーツ(約1,300円)。 盛り合わせが1, 000バーツ(約3,300円)と言う事だった。 それなら卸しスーパーの... 続きをみる
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日本に居た頃は、いつもレンタルレコードやレンタルCDを借りて、カセットテープやMDに録音したものだが、タイに来て、それが出来無くなった。 移住してから程なく、YOU TUBEなるものを知り、日本で引っ越しの際に処分したレコードまでYOU TUBEで見れる事が分かった。 海外移住した者にとって、YO... 続きをみる
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私の好きなタイの女性歌手 ตั๊กแตน ชลดา ไม่ใช่แฟนทำแทนไม่ได้ - ตั๊กแตน ชลดา 【OFFICIAL MV】 แฟนเก็บ - ตั๊กแตน ชลดา【OFFICIAL MV】 ดอกนีออนบานค่ำ - ตั๊กแตน ชลดา【OFFICIA... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後18日目。 「ぼちぼち お外に出たいかな?」
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或る人のフェイスブックを見て居たら、なんと、チェンライに寿司屋が有ると言う情報が載って居た。 その寿司屋のフェイスブックを見てみると、紹介ビデオが在った。 位置はしっかり分かったが、値段の映像がハッキリしない。 ブッフェで290バーツだとか、一皿が450バーツだとか、行って見なければ分からない。 ... 続きをみる
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私の好きなタイの女性歌手 หญิงลี ขอใจเธอแลกเบอร์โทร - หญิงลี ศรีจุมพล【OFFICIAL MV】 รอสายคนโสด - หญิงลี ศรีจุมพล 【OFFICIAL MV】 เอิ้นขวัญ บ่กล้าบอกครู (แต่หนูกล้าบอ... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 生後18日目。 「お昼寝タイム」 「爆睡タイム」 「寝呆けタイム」 「お目覚めタイム」
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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私の好きなタイの女性歌手 ศิริพร อำไพพงษ์ โลโซโบว์รัก - ศิริพร อำไพพงษ์ 【OFFICIAL MV】 ส่งฮักส่งแฮง - ศิริพร อำไพพงษ์【OFFICIAL MV】 ตัวจริงประจำใจ - ศิริพร อำไพพงษ์... 続きをみる
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 「少し慣れて来たわよ。」 生後18日目。少し成長しました。
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เศวตาสัย ฉากสุดท้าย พัณนิดา เศวตาสัย เดียวดาย - พันณิดา เศวตาสัย พรพิมล สายเกินไป - ก้อย พรพิมล ธรรมสาร สุรัตน์ติกานต์ โทรหาครั้งสุดท้าย - เอิร์น สุร... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 若い母親は、初産で子育て未経験の為、妻が母親指導。 若い母親も、妻を頼って居る。 「そうか。私にも段々分かって来たわ。」 「私も母親らしく出来ますヨ。」
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私の好きなタイの男性歌手 ルアンガイ หลวงไก่ ขอบคุณที่ยังรักกัน : หลวงไก่ อาร์ สยาม [Official MV] อย่าแหลงแผ้ว แผ้ว : หลวงไก่ อาร์ สยาม [Official MV] Mv แรงใจพี่หลวง ห... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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『会うは、別れの始め』 この言葉は、母から聞いた事を、何故かよく思い出す。 今迄、幾度と無く、出会いと別れがあった。 親とも別れた。 妻と別れ無くて、済むはずが無い。 いずれ別れは、やって来る。 別れは、受け入れるしか無いのだ。 でも、別れるまでの時間は、たっぷり有る。 それを楽しむしか無い。
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 我が家の露天風呂で生まれた仔犬の為に、居心地の良い木製の家を作ってやりました。 名前は、ソムラック、ソムワン、ソムヨット、ソンポーン。 4匹のオスの子供。 若い母親は、初産で子育て未経験。 悪戦苦闘の日々が始まりました。
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私の好きなタイの男性歌手 ヌー・ミッター หนู มิเตอร์ 1曲目と2曲目は、唯一、私が歌える曲です。 勿論、タイ語は未だ習得して居ませんので、英語の当て字を見て。 (お聞かせ出来無いのが非常に残念です。) (実はもう1曲歌える曲が有るのですが、残念ながらYou Tubeに見当たりません ... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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2010年2月4日、我が家で仔犬が生まれました。 近所で子犬を貰ったのですが、いつの間にか身ごもってました。 父親は分かりません。 オスの子4匹でした。 4匹目はちょっと難産でした。 現在は、その子と暮らして居ます。
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私の好きなタイの男性歌手 バード・トンチャイ เบิร์ด ธงไชย 東日本大震災応援歌 タイ - \"バード\"トンチャイが歌う日本応援歌
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私の好きなタイの男性歌手 バード・トンチャイ เบิร์ด ธงไชย [MV] ร้องไห้ทำไม (THAI VERSION) - เบิร์ด ธงไชย [MV subtitle] Bird Thongchai: Love Letter | 愛という言葉を書く | 寫“愛”這個詞 (K... 続きをみる
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日本の家を処分してからは、 帰国時は嵐山の安いマンスリーを利用するようになったが、 帰国時に車が無いと不便なので、 日本海方面に向かう山陰線の園部と言う田舎町の安い駐車場を借りて、 暫くは処分しなかった。 帰国時には、嵯峨嵐山駅から小一時間ほど山陰線に乗って車を取りに行き、 タイに戻る時は、園部に... 続きをみる
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初めて妻と会った時の会話は、全く覚えて無いが、彼女は母と姪と三人暮らしで、隣に姉夫婦が住んで居た。 以前は勤めて居たが、今は何もして無いと。 そうそう、今思い出したが、日本の友人に付いて来て貰ったのだ。 後になって、妻は、あの人は嫌いだったと言って居た。 じろじろ私を見つめて、いやらしい人だと思っ... 続きをみる
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タイに来るようになる前、日本でも度々見合いをした。 私の理想が高かったのか、結局上手くいかなかった。 それでタイに来るようになって、やはり見合いをしたのだが、何故か気分が全然ちがった。 それはやっぱり、タイの開放感が大きく影響したのだと思う。 日本には無い伸びやかさ。 日本に居ると何かせせこましさ... 続きをみる
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タイに来始めた頃、チェンマイに唯一の日本人食堂があり、 そこが日本人の溜まり場になっていた。 そこで色んな話が聞けた。 「私はカンボジアに行って来た。」 「私はベトナムに行って来た。」 「私はフィリピンに住んでいた。」 そこでほぼ皆の一致した意見は、タイが一番いいと言うことだった。 カンボジアやそ... 続きをみる
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私は何でものめり込むタイプのような気がする。 高校時代は、風邪で授業を休んでも、バレー部の練習には行った。 そもそも中学の時にスポーツクラブに入った事も無い背の低い私が、 身長を伸ばしたいと思って入った高校のバレー部は、 皆背が高く中学時代からの経験者ばかりの中に、場違いのようなひ弱な存在だった。... 続きをみる
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タイに行くようになってから、韓国に2度行ったことがある。 済州島と釜山。 1週間の休みが取れない時は、2泊3日の旅行ではタイに行く気になれなかった。 タイに行くのに2泊3日はあまりにも短すぎるからだ。 気分のリフレッシュのため、止むを得ず韓国を選んだ。 済州島は、何も無いところだが、牧歌的で、韓国... 続きをみる
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前回の「チェンライの街シリーズ」の写真のつづきです。 センタン(セントラルデパート)内のシネマ・チケット売り場 遊具コーナー ゲームセンター カラオケBOX シネマは4ヵ所有る。 Sukishi(回転寿司の様に、鍋の材料が回って居る。寿司等は手前に陳列) カフェ 弥生軒 富士食堂 大同門 本&文具... 続きをみる
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前にセンタン(セントラルデパート)内で、職員の目を盗んで撮影して帰宅後、テナントの中以外は、撮影可だと妻に言われたので、前の借りを返してやろうと、張りきって行って来た。 念の為に、最初にわざと職員の目の前で撮ってから、撮って回った。 後で全部消せと言われると癪だからだ。 目の前で一発撮って見ると、... 続きをみる
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前回の日曜ホコテンの写真のつづきです。
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もう書くことが無くなったので、これはブログのネタ位の話として、聞いて欲しい。 タイに来て、結果として何不自由無い年金生活となればいいのだが、例外的にこう言う話もある。 女性に騙されたと言う話。 信用して家まで建てたのに、建てた途端に追い出されたと言う話。 これは一つには、外人は土地所有が出来無いと... 続きをみる
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老後の安寧な年金暮らしの中で、もう一つ言って置きたい事が在った。 タイに来られて居る方の中で、日本の奥様と別れて来られた方が居られる。 自分の事では無いので、余計な話かも知れないのだが…。 半数位の方がそうなのか、余りお聞きした事が無いのでよく分からない。 でも考えて見ると、お年寄りが多いので、日... 続きをみる
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老後の安寧な暮らしの条件として、最後にもう一つ挙げたい。 それは、誰に囲まれて死ぬか、いや、誰に囲まれて暮らすかと言う事。 私は、妻に看取られて死にたい。 妻に先立たれるなんて事は考えたくも無い。 歳のせいか、昔の事をよく思い出す。 日本に居た頃の事。 日曜日は、妻とよく遊びに行った。 初めて妻が... 続きをみる
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老後の安寧な暮らしの条件として、もう一つ大切な要素が在る。 それは生活の利便。 便利さと言う事。 私は若い頃、年を取れば田舎で暮らしたいと思って居た。 しかし、母は違った。 「年を取ると、生活の便利な所に住む必要が在る」と。 「年を取れば、家の近くにスーパーや病院がなければならない」と。 年を取れ... 続きをみる
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何不自由無い年金生活の条件として、それは、単に経済的環境以外に、心地良い住環境かどうかと言う事が、大切な要素として在るのでは無いか。 幾ら経済的に安価な国であっても、暑くて堪らないとか、寒くて堪らないとか言う土地なら、何一つ不自由の無い生活とは言え無いだろう。 例えば、暑い国で、冷房をガンガン効か... 続きをみる
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退職した頃の事を思い出した。 其の頃、世に年金者組合と言うものが在った。 勿論今でも在ると思うが、現役の頃は組合活動をして居たので、其の年金者組合なるものとは、いささか関りが在った。 国民運動の際には、よく共闘したからだ。 しかも組合活動をされて居た職場の先輩達も、退職後其の団体によく入られて居た... 続きをみる
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朝飯を食って、髭を剃って、ベッドに横たわる。 何一つ不自由の無い生活を幸せに思う。 しいて言えば、この歳になって、左肩が四十肩のようになった事だ。 10年前、退職したての頃は、元気ばりばりで、体は現役そのものだった。 左肩の痛みが年老いた事を実感させる。 10年経てばこれ位の事はあるだろう。 10... 続きをみる
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昨日は妻が帰って来た。 どうやって甘えようか。 とりあえず、すき焼が無くなったので、それを作って貰おう。 そして、その為にMAKROに連れて行って貰おう。 運転するのは私だが…。 前回の日曜ホコテンの写真のつづきです。 前回も日曜ホコテンに連れて行って貰った。 運転したのは私だが…。
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昨日も妻は帰って来なかったので、バンドゥー温泉に行って来た。 少し早い時間だったので空いて居た。 いつものように湯と水とシャワー詮を使って湯張りをして居たが、途中でちょっと手を浸けて見ると、随分ぬるかったので、慌てて水とシャワー詮を止めた。 暫くお湯だけ出して居たが、中々熱くならなかった。 こんな... 続きをみる
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先日、久し振りに日曜ホコテンに行って来た。 昼に、妻が久し振りに作ってくれたグリーンカレーを食べて、腹一杯になったので、夕方まで昼寝をして居ると、妻が「散歩に行こう」と、声を掛けて来た。 一日中寝てるのも体に悪いと思って、いつものように妻に付いて行った。 これでブログのネタの写真が撮れると喜んで付... 続きをみる
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前回のミャンマー旅行写真のつづきです。 夕暮れのチェントンの池 チェントンから帰る朝、バス停で落ち合う約束をして、ガイドさんと市場で別れた。 そして、市場でも友人と分かれて、別々に見て歩く事になった。 小一時間程経った頃だろうか、友人と会う約束をした時間では、ガイドさんとの約束をした時間に間に合わ... 続きをみる
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一昨日の夕方撮りに行った「チェンライの街シリーズ」 一昨日、ぼちぼち涼しくなって来たので、写真を撮りに行こうと思ったら、それまでにも風が有って、何と無く曇って居たのだが、急に風が強くなって来て、やがて雨が降り始め、アッと言う間に、土砂降りになった。 この乾季に久し振りの大雨だ。 雨だけで無く、風も... 続きをみる
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前回のミャンマー旅行写真のつづきです。
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昨日は「チェンライの街シリーズ」をサボったので、今日は頑張って撮って来た。 (実は、昨日の夕方撮りに行った。それでも暑かった。) BigCの前からセンタン(タイ人のセントラルデパートの呼び名)を望む。 BigCの横のホテル 其の横のコンドミニアム(タイ人はマンションとは呼ばない) 其の横のホームセ... 続きをみる
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