チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

亡き母を想う

今から3年前、母が亡くなった時の日記を読んで、母を偲びたいと思います。


(2015.2.22 4:00) 日記より
何だかまだ母が生きているような。
何だか母の部屋を覗けば、まだ母がベッドに寝ているような。
そんな気がしている。
何かもっと母の為にしてあげられたことがあったような。
何かもっと母の為にし残したことがあったような。
今更何も出来ないのに。
もっと母の胸を撫でてあげれば良かった。
もっと母の手を撫でてあげれば良かった。
時々母の頭に手を当てたのだが。
今思えば、もっと母の体に触れてやれば良かった。
もっと母の体に触れてあげれば良かった。
病院のベッドに替えたことは良かった。
きっと寝心地は良かったはずだ。
それだけが唯一の慰みだ。
母のベッドに寝てみる。
今頃泣いても仕方が無いのに。
段々悲しみが込み上げて来る。
そうやって母の死を実感して来るのだ。
丁度父が死んだ時のように。
思えば父が死んだ時、母は私にすがって泣いた。
あの時、私は高校3年。

それを今思い出した。
今迄それを思い出したことは何度もあったのだが、
今はその思い出がやけに懐かしく思える。
そうだ、そんなことがあったのだ。
これからは、そんな思い出を山ほど思い出して来るのだろう。
覚悟して置かなければ。


(2015.2.22 18:40) 日記より
寝たきりになってもう1年半も経って居たのだ。
意外と長かったが、今から思うと、あっと言う間だった。
寝たきりになってからは、母は何も楽しいことは無かった。
只食べることとテレビを見ることだけが唯一の楽しみ。
それでもまだ庭を眺めることが出来たのだ。
いつもいい庭だと言って居た。
木が随分大きくなったと言って居た。
認知症なのに。
今から思うと、認知症では無かったのかも。
いや、まだらぼけなんだ。
死ぬ直前、息絶え絶えの状態で、
目をつむったまま『ありがとう、楽しかった』
と言ったのにはびっくりした。
泣かずには居れなかった。
肩の荷が下りたとか言うのは、母には大変申し訳無いが、
母を失った無念さとは裏腹に、何か妙にそんな気がして居る。
止めて居たタバコを吸うようになった。
気が落ち着くまでのつもりだが。
ずっと続きそうな気もする。
血圧には悪いのだが。
絶対に母より先に死ねないといつも思っていた。
これで心おきなく吸えると言うのは、いささか思い違いをしているのだろうか。
酒を飲んだ時に吸うととても美味いからだ。
でも、折角暮らし易いタイに住んで居るのだから、
母のように96歳まで生きてやろうと思う。
日本食にこだわらなければ、物価も安いし、
気候も4-5月を除いては1年中春の気候だからだ。
6時半の今でも26度。
半そで短パンが心地よい。


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