私の好きなタイの女性歌手 ศิริพร อำไพพงษ์ โลโซโบว์รัก - ศิริพร อำไพพงษ์ 【OFFICIAL MV】 ส่งฮักส่งแฮง - ศิริพร อำไพพงษ์【OFFICIAL MV】 ตัวจริงประจำใจ - ศิริพร อำไพพงษ์... 続きをみる
2018年3月のブログ記事
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 「少し慣れて来たわよ。」 生後18日目。少し成長しました。
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เศวตาสัย ฉากสุดท้าย พัณนิดา เศวตาสัย เดียวดาย - พันณิดา เศวตาสัย พรพิมล สายเกินไป - ก้อย พรพิมล ธรรมสาร สุรัตน์ติกานต์ โทรหาครั้งสุดท้าย - เอิร์น สุร... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 若い母親は、初産で子育て未経験の為、妻が母親指導。 若い母親も、妻を頼って居る。 「そうか。私にも段々分かって来たわ。」 「私も母親らしく出来ますヨ。」
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私の好きなタイの男性歌手 ルアンガイ หลวงไก่ ขอบคุณที่ยังรักกัน : หลวงไก่ อาร์ สยาม [Official MV] อย่าแหลงแผ้ว แผ้ว : หลวงไก่ อาร์ สยาม [Official MV] Mv แรงใจพี่หลวง ห... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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『会うは、別れの始め』 この言葉は、母から聞いた事を、何故かよく思い出す。 今迄、幾度と無く、出会いと別れがあった。 親とも別れた。 妻と別れ無くて、済むはずが無い。 いずれ別れは、やって来る。 別れは、受け入れるしか無いのだ。 でも、別れるまでの時間は、たっぷり有る。 それを楽しむしか無い。
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2010年2月4日、我が家で生まれた仔犬の物語。 我が家の露天風呂で生まれた仔犬の為に、居心地の良い木製の家を作ってやりました。 名前は、ソムラック、ソムワン、ソムヨット、ソンポーン。 4匹のオスの子供。 若い母親は、初産で子育て未経験。 悪戦苦闘の日々が始まりました。
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私の好きなタイの男性歌手 ヌー・ミッター หนู มิเตอร์ 1曲目と2曲目は、唯一、私が歌える曲です。 勿論、タイ語は未だ習得して居ませんので、英語の当て字を見て。 (お聞かせ出来無いのが非常に残念です。) (実はもう1曲歌える曲が有るのですが、残念ながらYou Tubeに見当たりません ... 続きをみる
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チェンライの家の庭に咲いた花の写真です。
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2010年2月4日、我が家で仔犬が生まれました。 近所で子犬を貰ったのですが、いつの間にか身ごもってました。 父親は分かりません。 オスの子4匹でした。 4匹目はちょっと難産でした。 現在は、その子と暮らして居ます。
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私の好きなタイの男性歌手 バード・トンチャイ เบิร์ด ธงไชย 東日本大震災応援歌 タイ - \"バード\"トンチャイが歌う日本応援歌
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私の好きなタイの男性歌手 バード・トンチャイ เบิร์ด ธงไชย [MV] ร้องไห้ทำไม (THAI VERSION) - เบิร์ด ธงไชย [MV subtitle] Bird Thongchai: Love Letter | 愛という言葉を書く | 寫“愛”這個詞 (K... 続きをみる
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日本の家を処分してからは、 帰国時は嵐山の安いマンスリーを利用するようになったが、 帰国時に車が無いと不便なので、 日本海方面に向かう山陰線の園部と言う田舎町の安い駐車場を借りて、 暫くは処分しなかった。 帰国時には、嵯峨嵐山駅から小一時間ほど山陰線に乗って車を取りに行き、 タイに戻る時は、園部に... 続きをみる
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初めて妻と会った時の会話は、全く覚えて無いが、彼女は母と姪と三人暮らしで、隣に姉夫婦が住んで居た。 以前は勤めて居たが、今は何もして無いと。 そうそう、今思い出したが、日本の友人に付いて来て貰ったのだ。 後になって、妻は、あの人は嫌いだったと言って居た。 じろじろ私を見つめて、いやらしい人だと思っ... 続きをみる
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タイに来るようになる前、日本でも度々見合いをした。 私の理想が高かったのか、結局上手くいかなかった。 それでタイに来るようになって、やはり見合いをしたのだが、何故か気分が全然ちがった。 それはやっぱり、タイの開放感が大きく影響したのだと思う。 日本には無い伸びやかさ。 日本に居ると何かせせこましさ... 続きをみる
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タイに来始めた頃、チェンマイに唯一の日本人食堂があり、 そこが日本人の溜まり場になっていた。 そこで色んな話が聞けた。 「私はカンボジアに行って来た。」 「私はベトナムに行って来た。」 「私はフィリピンに住んでいた。」 そこでほぼ皆の一致した意見は、タイが一番いいと言うことだった。 カンボジアやそ... 続きをみる
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私は何でものめり込むタイプのような気がする。 高校時代は、風邪で授業を休んでも、バレー部の練習には行った。 そもそも中学の時にスポーツクラブに入った事も無い背の低い私が、 身長を伸ばしたいと思って入った高校のバレー部は、 皆背が高く中学時代からの経験者ばかりの中に、場違いのようなひ弱な存在だった。... 続きをみる
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タイに行くようになってから、韓国に2度行ったことがある。 済州島と釜山。 1週間の休みが取れない時は、2泊3日の旅行ではタイに行く気になれなかった。 タイに行くのに2泊3日はあまりにも短すぎるからだ。 気分のリフレッシュのため、止むを得ず韓国を選んだ。 済州島は、何も無いところだが、牧歌的で、韓国... 続きをみる
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前回の「チェンライの街シリーズ」の写真のつづきです。 センタン(セントラルデパート)内のシネマ・チケット売り場 遊具コーナー ゲームセンター カラオケBOX シネマは4ヵ所有る。 Sukishi(回転寿司の様に、鍋の材料が回って居る。寿司等は手前に陳列) カフェ 弥生軒 富士食堂 大同門 本&文具... 続きをみる
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前にセンタン(セントラルデパート)内で、職員の目を盗んで撮影して帰宅後、テナントの中以外は、撮影可だと妻に言われたので、前の借りを返してやろうと、張りきって行って来た。 念の為に、最初にわざと職員の目の前で撮ってから、撮って回った。 後で全部消せと言われると癪だからだ。 目の前で一発撮って見ると、... 続きをみる
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前回の日曜ホコテンの写真のつづきです。
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もう書くことが無くなったので、これはブログのネタ位の話として、聞いて欲しい。 タイに来て、結果として何不自由無い年金生活となればいいのだが、例外的にこう言う話もある。 女性に騙されたと言う話。 信用して家まで建てたのに、建てた途端に追い出されたと言う話。 これは一つには、外人は土地所有が出来無いと... 続きをみる
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老後の安寧な年金暮らしの中で、もう一つ言って置きたい事が在った。 タイに来られて居る方の中で、日本の奥様と別れて来られた方が居られる。 自分の事では無いので、余計な話かも知れないのだが…。 半数位の方がそうなのか、余りお聞きした事が無いのでよく分からない。 でも考えて見ると、お年寄りが多いので、日... 続きをみる
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老後の安寧な暮らしの条件として、最後にもう一つ挙げたい。 それは、誰に囲まれて死ぬか、いや、誰に囲まれて暮らすかと言う事。 私は、妻に看取られて死にたい。 妻に先立たれるなんて事は考えたくも無い。 歳のせいか、昔の事をよく思い出す。 日本に居た頃の事。 日曜日は、妻とよく遊びに行った。 初めて妻が... 続きをみる
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老後の安寧な暮らしの条件として、もう一つ大切な要素が在る。 それは生活の利便。 便利さと言う事。 私は若い頃、年を取れば田舎で暮らしたいと思って居た。 しかし、母は違った。 「年を取ると、生活の便利な所に住む必要が在る」と。 「年を取れば、家の近くにスーパーや病院がなければならない」と。 年を取れ... 続きをみる
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何不自由無い年金生活の条件として、それは、単に経済的環境以外に、心地良い住環境かどうかと言う事が、大切な要素として在るのでは無いか。 幾ら経済的に安価な国であっても、暑くて堪らないとか、寒くて堪らないとか言う土地なら、何一つ不自由の無い生活とは言え無いだろう。 例えば、暑い国で、冷房をガンガン効か... 続きをみる
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退職した頃の事を思い出した。 其の頃、世に年金者組合と言うものが在った。 勿論今でも在ると思うが、現役の頃は組合活動をして居たので、其の年金者組合なるものとは、いささか関りが在った。 国民運動の際には、よく共闘したからだ。 しかも組合活動をされて居た職場の先輩達も、退職後其の団体によく入られて居た... 続きをみる
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朝飯を食って、髭を剃って、ベッドに横たわる。 何一つ不自由の無い生活を幸せに思う。 しいて言えば、この歳になって、左肩が四十肩のようになった事だ。 10年前、退職したての頃は、元気ばりばりで、体は現役そのものだった。 左肩の痛みが年老いた事を実感させる。 10年経てばこれ位の事はあるだろう。 10... 続きをみる
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昨日は妻が帰って来た。 どうやって甘えようか。 とりあえず、すき焼が無くなったので、それを作って貰おう。 そして、その為にMAKROに連れて行って貰おう。 運転するのは私だが…。 前回の日曜ホコテンの写真のつづきです。 前回も日曜ホコテンに連れて行って貰った。 運転したのは私だが…。