チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

追記(その8)(自叙伝補足)ー父のことー


父の思い出は高3の時に亡くなったので母ほどは多く無い。
誇りに思えるのは正義感が強く、人に優しいと言う事だった。
だから保険の外交員のおばちゃん達に人気が有った様だ。
掛け捨てで無い保険も自分が始めたと自慢して居た。
共栄火災海上保険。
今は何処も掛け捨てでは無いだろう。
警官・軍人だった事も在ってか、厳しい人だった。
唯、私は甘やかされて育った。
動物園で抱っこされてる写真がいつも目に浮かぶ。
そして心筋梗塞で悩んだ父の事も…。
退職真近に成って仮免許の最中に心臓発作で倒れた。
指導員の話では急に持たれ掛って来たと。
救急病院に運ばれた時は亡くなって居たと。
近所だったので母と行った時は霊安室だった。
母は振り向いて私にすがった。
私は高3ながらこれからは自分がしっかりしなければと思った。
父と母と3人で映画館や芝居を見に行った事が有る。
確か小学生の頃だった様に思う。
それから7人家族だったので、皆で姉が勤めて居た三菱銀行の箱根の温泉宿に行った。
「仙石山荘」だ。
赤絨毯の玄関が何故か懐かしい。
これが7人で行く最後だと言って居た。
それで姉が結婚し、兄が結婚し、下の姉が結婚し、祖母が亡くなり、3人に成った。
高校生の頃は何か父が疎ましく、苦手だった。
だから食事の時も何処か落ち着かなかった。
中学生の頃、何か空虚で自殺願望の様な気持に成った。
そんな時、父は近所の家を買いたいと言って図面を見せた。
それで何故か自殺願望が無く成って居た。
そうそう、子供の時、家のお風呂に入って熱い湯に入って10数えなさいとよく言われた。
熱い湯が苦手だった。
木の風呂で蒔きで燃やして居た。
借家だったが広い土間が有った。
結婚して一度訪ねたが辿り着け無かった。
男山八幡宮の麓の家だった。
今、父のアルバムを見返して見ると、父の会社時代の写真がいっぱい有る。
一体どんな人生だったんだろう。
時間が有ればこれから見返して想像して見たい。



夕食に食べ残した下ろし蕎麦を夜中に食べたので朝食を食べるのが遅く成った。
喫茶店に着いたのは夕方4時。
家ではブログを書く気がしないからだ。
メロンスムージーを飲むとシャンとした。
ミキサーの性能が違うのか、家のミキサーでは喫茶店の様に氷が細かく成らない。
家でもスムージーが食べたいが、ミキサーを買い換えてくれとは言えない。
若し家で出来るなら氷水スムージーでも良いのだが…。
急いでメロンスムージーを掻き込んだら頭が痛く成った。
もう、外は真夏だ。


今日の朝食


さて、今夜は鯖缶煮。
タイの缶詰なのでちょっぴり辛い。