家族の事(その3)(自叙伝補足)
(昨日のつづき)
嵯峨野に親戚が在った。
母の姉の家。
その家に行くと不思議な木の匂いがした。
他の所には無い匂い。
出来る事ならタイにも植えて嗅ぎたいところだ。
何の木か今では知る由もない。
伯母も母も亡くなった。
二つ違いの従兄とはよく喧嘩した。
でも直ぐ仲直りして一緒に遊んだ。
伯母家は後年、山科に引っ越した。
伯母も謡曲が趣味で、母といつも長電話して居た。
伯母は山科の坂で鍛えられたのか足腰が頑丈で、重い果物を我が家まで持って来た事が有る。
母が若し伯母の様に足腰が頑丈なら母を日本に置いて来たかも知れない。
今の様にラインで電話が出来たならどれ程良かった事だろう。
子供の頃は母の実家の和知町(現京丹波町)によく行った。
夏休みになると毎年行って居たと思う。
父は川で鮎釣り。
私も行ったが雑魚も釣れなかった。
叔父が居て農家だった。
牛が居た。
草の餌を食んで居たのが懐かしい。
炊いた草は独特な匂いがした。
釜風呂も有った。
底板を踏み外すとメチャ熱かった。
外のトイレは穴から野壺に落ちるのではと怖かった。
夕食時は虫が飛び込んで来た。
子供心には其れが一番怖かった。
犬を散歩に連れて行くと大そう喜んだ。
それで毎年よく覚えて居てくれた。
今は叔父も叔母も居ない。
空き家に成って居る。
子供達も散り散りばらばら。
私の兄姉も同じ。
伯母の息子達も同じ。
これが運命なのだろう。
仕方の無い事だ。
昔の封建大家族なら共同で農作業をしただろうが、商業の時代は無理な話。
タイでも農家で無ければ兄弟別々に暮らして居る。
一番仲が良かった従兄は伯母家の従兄だが、二番目に仲が良かった従兄は二つ下の父方の叔母の息子。
彼は今も独身で神戸市に住んでると思うが、タイに呼んで一緒に暮らしたいものだ。
今はどうして居るのだろう。
京都と少し離れてるので会う機会は少なかったが、会えばよく一緒に遊んだ。
父方の家系は宮大工だったそうだが、それは祖父の代で終わった様だ。
祖母は88で亡くなるまで一緒に暮らした。
子供の頃は芝居小屋によく連れて行って貰った。
母方の曽祖父は庄屋だったが、施しが過ぎて破算したと。
それで祖父の代は平民だったらしい。
祖母は才色兼備だったらしく、祖父は尻の下に敷かれてる様だった。
私は父方の循環器系が弱い遺伝子を受け継いでる様だが、母方の悪い遺伝子は受け継いで無い様に思う。
そう言えば母方の祖父は少々お酒が好きだった。
(つづく)
昨日の雨が少なかったので今日は結構暑く成った。
唯、プールの水は冷たかろうと思い行かなかった。
喫茶店は今日も貸切。
これでよく続くものだ。
店の奥さんは池の掃除。
雨のせいで水が濁ったのだろうか。
暇なので丁度良い。
私は涼しい所で冷たいスムージーを飲んで快適。
今日の朝食
さて、今夜はシシャモ。
いつも美味しい料理をありがとう。