チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

何不自由無い年金生活

朝飯を食って、髭を剃って、ベッドに横たわる。
何一つ不自由の無い生活を幸せに思う。
しいて言えば、この歳になって、左肩が四十肩のようになった事だ。
10年前、退職したての頃は、元気ばりばりで、体は現役そのものだった。
左肩の痛みが年老いた事を実感させる。
10年経てばこれ位の事はあるだろう。
10年経ってこれ位なら、有り難い位なのかも知れない。
ベッドに横たわって、朝の清々しさを味わって居る。
毎日こう言う生活だ。
先日、在住の人が来て、自分は電気シェーバーは使わず、剃刀で髭を剃って居ると言う。
毎日、朝シャンは面倒な事だと思ったが、考えて見れば、服を着たまま髭を剃るのが普通で、何故直ぐ朝シャンをイメージしてしまうのか。
どうも、歳と共に、勝手な思い込みが増えて居る様な気がするが、よく考えて見ると、私は昔からそう言うところが有った。
早合点と言うか、早とちりと言うか。
歳と共に、益々その性質が高じて居る様だ。
そして、もう一つ。
在住の人同士で、自分の知識と違う意見と出会うと、議論に熱が入る。
議論が伯仲するのは、ボケ防止でいいのだが、そこまで熱くならずとも、と思ったりする。
議論は、その獲得目標が意識されて居ればいいのだが、それを忘れたら、唯のマスターベーション。
私は若い頃、組合の会議では、その会議での獲得目標を常に意識して来た。
ともすれば議論伯仲、喧々諤々の議論となって、結果、得られるものは少なく、時間を無駄にした、と思う事も何度も有った。
まあ、今更、この年老いて、時間潰しには丁度いいのだが、結局は、人の意見は耳に入らない。
かく言う私も、冷静さを失えば、たちどころに熱を帯びて、自分の意見を声高に主張する。
まあ、どう転んでも、日本から遠く離れた異国の地で、老人が議論しても、外には何の影響も無いのだが…。


昨日の朝食 鶏粥とししゃも

昨日の昼食 グリーンカレー

昨日の夕食 コロッケとハンバーグ