チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

兄のこと(2)

兄は最初、家で果物屋をやって居たが、店の棚にフルーツ缶とかミックス缶が美味しそうに並んで居たのを、子供心に覚えて居る。
住宅街に果物屋と言うのは、今考えると違和感が有るが、近辺に市場は無く、いっその事、魚屋とか野菜店にしたら、もっと儲かったのでは無いかと思うが、それこそ仕入れが大変だったろう。
青年には果物屋位が丁度良かったのだろう。
兄が果物屋をやるのを父が許したのは、やはり、商売の難しさを経験させる為だったんだろう。
その後、父の勤めて居る会社に入るのだが、そこで兄は、組合活動に熱心だった様だ。
それが、何年か後、昇進もして、何時の間にか保守政党の応援をする様になり、
随分180度の転換だなあと思って居たが、
選挙の敗北の責任を取らされたのかどうかは分からないが、
途中で会社を辞めて、京都市の隣の宇治市でスナックをやり始めた。
素人なので、客の相手も苦労したと思う。
いつの間にかアル中になって居た。
私は後年、保健所に勤めた時、障害者担当になって、断酒会なる存在も知ったが、
若し兄がそう言う会を知って居れば、食堂癌にもならずに、
また違った人生が在ったのでは無いかと思うと、口惜しい限りだ。
兄は若い頃から、歌が上手かった。
或る結婚式の披露宴で、兄が民謡の貝殻節を素で歌って、会場はやんやの拍手だったが、
後年、私もまた友人の披露宴で貝殻節を素で歌った。
やはり遺伝して居るのだろうか。
この歌を歌う時は、いつも兄の事を思い出す。




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