チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

女中さんの弟(其の2)

庭の草刈の前に、家の外回りの雑草を刈って貰った。



その次に伸びた庭木の伐採をして貰っていたら、雨が降り始めたのだが、
一向に止める気配が無い。
妻に言ったら「雨が降って来た!」と大声で妻が叫んだ。
それでも止めないので、女中さんがビルマ語で「雨だから止めたら」と言う様な事を繰り返し言って、漸く止めた。
そして、雨が止んだら直ぐまた切り始めた。
2時頃までやっていた。
腹が減らないのだろうか。


ジャックフルーツの実


昼食後は、以前実が生っていたジャックフルーツの木がコンクリートの下まで根を張ってコンクリートにひび割れが出来ていたので、地表部分を切り取って貰ったのだが、根が生きていたのか、いよいよコンクリートのひび割れ部分が盛り上がる様になって来たので、伸びている根を切って貰った。
これが凄く太い根で、わざわざメーサイから持って来て貰った電動カッターで切って貰った。
樹の幹全体の根はとてもじゃないが掘り起こせそうに無いので放置されたが、反対側は土なのでそれ程問題にはならないだろう。



草刈の方は未だ残っているが、庭木の伐採でとてもすっきりした。
そして、離れの方の屋根も追加して貰うので、
今日はそれを買いに行く。


すっきりした庭


辺りは樹の匂いが蔓延して、犬も気持ち良さそうに眠っている。

雑草が茂っている公園


今日の朝ご飯。妻が作ったお菓子。

父の夢

昨日は父の夢を見た。
父の夢を見るのは久し振りだ。
私が高3の時に亡くなって以来、父の夢は一度か二度位しか見て無い。
余りに早く亡くなったので、父の事を想うのは悔しいので、
自ら父の記憶を封印して来たのでは無いかと思って居る。
それが母も亡くなり3年経って居るのに、何故解けないのか不思議なのだが、
いや昨日見たから、やっと解けたと言う事だろうか。


夢では寝たきりで現れて来た。
実際の父は、心筋梗塞の発作で苦しむ事は有っても、寝たきりなどでは無かった。
医者の往診が有るから、自分の寝て居るベッドが匂うから、綺麗にしてくれと言うものだった。
それが蒲団をめくって拭こうとすると、嫌がって隠そうとするのだ。
他の者では埒が明かなかったが、私が拭くのは許した。
すると尿で蒲団が濡れて居た。
一度起こして蒲団を仕替えなければと思い、父を何処かに連れて行った。
すると場面は急展開し、何故か軍人の大会になって居た。
そこで父は何故か少佐か大尉位になって居た。
実際の父は、憲兵で、二階級特進の上等兵だったはずだ。
そして、ベッドが整ったから戻ろうとする時に、
私に支えられながらも何故か焦る様にスタスタ歩いて帰ろうとした。
「お父さん、こんなに早く歩けるのなら、元気になれますね。」
「いや、こんなに元気なのに、どうして寝たきりなのでしょうね。」
と自分でも訳の分からない事を言って、言葉に詰まった。


夢はかなり端折ったが、概して、父は非常に頑固で、扱い難い人になって居た。
夢には母や兄弟、そして、今迄夢で見た事も無い珍しい従兄弟も出て来た。
この夢が暗示して居るものが何なのかは分からない。
此の父は私で、老後の頑固な私の姿なのだろうか。


フロイトの「夢判断」や「精神分析学入門」などを読まなければ、解き明かす事は出来ない。
今はもう、そんなに読書が出来る自信も無いが、
いつか解き明かされる日が来るまで、こんな風に、
いやもっと克明に記録して置く事しか出来ない。


女中さんの弟

昨夕から女中さんの弟が草刈に来てくれて居る。
メーサイに住んで居る。
普段は女中さんが草刈をしてくれるが、
雨季で直ぐ伸びて来るから少々グロッキー気味だ。
わざわざメーサイからと思うが、考えて見れば、
40バーツ(約130円)のバス(1BOXカー)代で来れる。
メーサイ→チェンライ間が1時間に1本位有る。
便利になったもんだ。
建築工事人と言う事だ。
毎日は仕事が無いんだろうか。
そんな事は無い。
忙しくて車を買いたいと言って居る。
前にも来て貰って居るが、仕事の出来る人なので、家の修理もやって貰って居る。
姉の依頼だから、時間が空いて居れば、直ぐに来てくれる。
近くに住んで居ればもっと有難いのだが…。
何でもビザが難しいらしい。
以前はタイの南部で働いて居たとの事。
軍政で厳しくなったのだと思う。
タイ語はペラペラだ。
女中さんの親戚は国境の町メーサイに多く住んで居る。
国境から6キロはビザが要らないのだ。
ミャンマーがASEANに加盟して久しい。
もっとビザが簡単に貰える様になればいいのに…。


年齢に似合わず可愛い靴を履いて居る。


草が繁ると蚊の発生も多い。

昨日の夢

昨日は久し振りに母の夢を見た。
寝言を言ったと気付くのは5年か10年に一度位だが、
昨日は寝言を言って目が覚めた。
「早くしてよ!」と母に言った拍子に目が覚めた。
母が一人で立つ事が出来ないので、顔を洗う為に私が後ろから支えて居る夢なのだが、
認知症の母が他の人とぺちゃくちゃ喋って中々洗わないので、辛抱し切れずそう言った。
夢の始まりは、母が寒いと言ってストーブに火を点けるのだが、
どう言う訳かストーブの上にプラスチックが乗って居た。
私が「プラスチックが上に有るのが分からないのか!」と声を荒げると、
母がドギマギした拍子に、小さいゴキブリの様なものが蜘蛛の子を散らす様に母の頭から飛び出した。
私はびっくりして、母に頭を洗う様に言った。
そして、夢は途中から、母は一人で立て無い様になって居た。


私は目覚めてから思った。
母は後年自分では顔も洗え無くなって居たのに、私は一体何をして居たんだろうと。
母の顔を洗ってあげた記憶が無い。
何て親不孝だったんだろう。
よく考えて見れば、女中さんがシャワーを浴びさせて居たんだ。
全て女中さん任せで、そんな記憶さえ飛んで居た。
それもこれも私が無理やり母をタイに連れて来たのが間違いだった。
こんな夢を見るのがその証拠だ。
私は一杯汗をかいて居た。


最近寝汗が酷くなって居る。
一晩で3回位は着替える。
血圧のせいだろうか。
母の祟りだと考えれば少しは楽な気持ちになる。



昔住んで居た日本の家

フジ子・ヘミング

昔、と言っても随分昔だが、調べて見ると1999年、
NHKでフジ子・ヘミングの特集が有った。
彼女の境遇に同情した事も有り、凄くフアンになって、

レンタルCDなども借りたのだが、
こう言う批評を多く耳にした。「彼女の演奏は正確で無い。ミスタッチも多い。」

私はこの批評を真に受けて、それ以降フジ子・ヘミングを聞かなくなった。


タイに来て、ショパンのYOUTUBEなどを聞いて居て、偶々彼女の演奏を聞いて見ると、
それまでの他の演奏家のものが色あせるほどの衝撃を受けた。
余計な批評を真に受けた自分を後悔した。
随分時間を損したと思った。
作曲者の意図に忠実なだけでは芸術では無い。
そこには、無謀とも言えるほどの彼女の個性が溢れて居る。




魂のピアニスト・・・フジコ・ヘミング

フジ子・ヘミング~月の光

フジ子・ヘミング~ノクターン第2番/ショパン

フジ子・ヘミング~ ノクターン第1番(ショパン)

ショパン「革命」 フジコ・ヘミング UPC-0398

フジ子・ヘミング~ラ・カンパネラ(2015)