チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

昨日の夢

昨日は久し振りに母の夢を見た。
寝言を言ったと気付くのは5年か10年に一度位だが、
昨日は寝言を言って目が覚めた。
「早くしてよ!」と母に言った拍子に目が覚めた。
母が一人で立つ事が出来ないので、顔を洗う為に私が後ろから支えて居る夢なのだが、
認知症の母が他の人とぺちゃくちゃ喋って中々洗わないので、辛抱し切れずそう言った。
夢の始まりは、母が寒いと言ってストーブに火を点けるのだが、
どう言う訳かストーブの上にプラスチックが乗って居た。
私が「プラスチックが上に有るのが分からないのか!」と声を荒げると、
母がドギマギした拍子に、小さいゴキブリの様なものが蜘蛛の子を散らす様に母の頭から飛び出した。
私はびっくりして、母に頭を洗う様に言った。
そして、夢は途中から、母は一人で立て無い様になって居た。


私は目覚めてから思った。
母は後年自分では顔も洗え無くなって居たのに、私は一体何をして居たんだろうと。
母の顔を洗ってあげた記憶が無い。
何て親不孝だったんだろう。
よく考えて見れば、女中さんがシャワーを浴びさせて居たんだ。
全て女中さん任せで、そんな記憶さえ飛んで居た。
それもこれも私が無理やり母をタイに連れて来たのが間違いだった。
こんな夢を見るのがその証拠だ。
私は一杯汗をかいて居た。


最近寝汗が酷くなって居る。
一晩で3回位は着替える。
血圧のせいだろうか。
母の祟りだと考えれば少しは楽な気持ちになる。



昔住んで居た日本の家

フジ子・ヘミング

昔、と言っても随分昔だが、調べて見ると1999年、
NHKでフジ子・ヘミングの特集が有った。
彼女の境遇に同情した事も有り、凄くフアンになって、

レンタルCDなども借りたのだが、
こう言う批評を多く耳にした。「彼女の演奏は正確で無い。ミスタッチも多い。」

私はこの批評を真に受けて、それ以降フジ子・ヘミングを聞かなくなった。


タイに来て、ショパンのYOUTUBEなどを聞いて居て、偶々彼女の演奏を聞いて見ると、
それまでの他の演奏家のものが色あせるほどの衝撃を受けた。
余計な批評を真に受けた自分を後悔した。
随分時間を損したと思った。
作曲者の意図に忠実なだけでは芸術では無い。
そこには、無謀とも言えるほどの彼女の個性が溢れて居る。




魂のピアニスト・・・フジコ・ヘミング

フジ子・ヘミング~月の光

フジ子・ヘミング~ノクターン第2番/ショパン

フジ子・ヘミング~ ノクターン第1番(ショパン)

ショパン「革命」 フジコ・ヘミング UPC-0398

フジ子・ヘミング~ラ・カンパネラ(2015)

お気に入りのクラシック

蝉の声とか子守歌のYOUTUBEを聞いて居ると、モーツァルトの子守歌が出て来た。
タイに来て読書三昧もいいが、音楽鑑賞もいい。
カセットテープやMD、CDを何百枚と持って来たが、整理がいいので、
YOUTUBEで探す方が簡単だ。
しかも、コレクション以外のものも幾らでも聞ける。
そして、画像付きなので、どう考えてもYOUTUBEの方が有利だ。
YOUTUBEに無いものだけCDで聞けばいい。


最近、クラシックの音楽鑑賞は軽いものを選択して居る。
長時間ものは途中で止められないから、歳と共に短編集を好む様になって来た。


ヨハン・ゼバスティアン・バッハ



バッハ「G線上のアリア」 Bach \"Air on G String\"

Ophélie Gaillard, Bach, Prelude, Cello suite n. 1


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト



私が好きなクラシック アイネ・クライネ・ナハトムジーク第一楽章 モーツァルト

モーツァルト 交響曲 第40番 第1楽章


フレデリック・フランソワ・ショパン



ショパン ノクターン 夜想曲集 全曲【作業用・クラシックピアノ名曲02】

最近の食事事情(其の6)

どうも美味しいと思うと、つい同じものばかり食べてしまう。
食事予定表を書いて、万遍に食べて、栄養バランスよく食べようと思って居るのに。
いつも栄養に気を付けて居るので、ちょっと位いいやとつい気を許してしまう。
アスパラや天ぷら蕎麦に憑依かれた様に毎日食べてしまう。
おまけに、昼天ぷら蕎麦を食ったのに、夜も天ぷらを食ってしまう。
予定表ではすき焼になって居たのに、どう言う訳か、余りすき焼を食う気分になれなかった。
若しかしたら女中さんと口論したせいかも知れない。
余りにも一度に多くの果物を切ってしまったからだ。
気分を損ねない様に言わねばと思って居るのに、
ついつい強い口調で言ってしまった。
女中さんは、私が切れと言ったからだと反論して来る。
真っ赤な顔をして、泣きそうに言う。
しまったと思ったが後の祭り。
私もそんなに一度に食べられる訳が無いじゃないのと、つい反論してしまう。
歳を取ると、どうも柔軟性に欠けて来る。
昔は包容力が有ったのに。
妻に対してもそうだ。
尤も、彼女は立場が強いから、私が言っても冷静で居られる。
女中さんは立場が弱いから必死だ。
でも、暫くすると機嫌を直してくれた。



昨日は日本からの友人がコーヒーを買ったお気に入りの喫茶店に行って来た。
例の日本語が話せるご主人の店だ。
苦いのと苦く無いのが欲しいと言ったら、
今日は苦いのしか有りませんと言うので、苦いのだけ買った。
一袋100バーツ(約330円)。
安いのか高いのかよく分からないが、友人はわざわざ此処で買って、日本に持ち帰る。
此処のは苦くて旨いと。
私は余りよく分からないので、両方試して見ようと思って居たのだ。
するとご主人は、「苦く無いのは注文して置かなければならない」と言った。
エっ!確か自分のとこで植えて、焙煎して居ると聞いたはずだが…。
まあ、そうで無くとも旨けりゃいいやと思って、
また買いに来ようと思った。
車で15分ほどの郊外に在る。
湖畔に在るしゃれた喫茶店だ。


ヒーリング

昔、高校のバレー部の合宿に、京都府丹後地方の網野高校間人(たいざ)分校の体育館を借りて行なった記憶が有り、近年しきりにその時の事が懐かしく思い出され、
蝉の声を聞きたくなった。
森に囲まれた体育館だった。


YOUTUBEで探して見ると、ヒグラシやミンミン蝉のものも有ったのだが、
クマ蝉のものが有り、それが凄く新鮮で、私の気持ちにフィットした。
更に探して見ると、「ふくろうの鳴く田舎の夜」と言うのが有り、
何故かふくろうの声は無かったが、その他の色々な虫の声がとても心を癒すものだった。
寝る時には是非これを聞きながら寝たい思った。


高校時代の合宿は、普段の練習も含め、とてもハードで辛い日々だった。
今振り返ると、もっと楽しんでやりたかったが、
子供の頃はそんな余裕は無く、只、「やらされるバレー」に明け暮れた。
若しもう一度タイムマシンで戻れるものなら、
今度こそ「やるバレー」をして見たいものだ。
そして、今振り返って懐かしい合宿の日々を、もっと楽しみたい。
大学生や社会人になってからのバレーボールは、それはそれは楽しいバレー生活だった。
でも高校時代の辛い合宿が、今はとても愛おしい。
唯一楽しかった思い出は、沢庵で食べた朝ご飯。



クマゼミの鳴き声/Kumazemi



心を癒す自然の音・ふくろうの鳴く田舎の夜 / Healing nature sounds - countryside at night with owls.


網野高校間人分校