チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

今日はすき焼き丼

妻の姉が亡くなってもう半年近く経って居た。
まだついこの間の様に思って居たのだが…。
明日は田舎の実家の近くでお経を上げて貰い、
ビルマにも近いラオスとの国境に沿って流れて居るメコン川に散骨に行く為、
妻は今日から実家に行った。
私は枕が変わると寝れないので、明日の朝行く事に。
実は私の母の骨も実家の近くの寺に安置して在ったのだが、
それも散骨する事に。
もう5年になる。
喉仏などの骨は今も家に有る。



それで白くなった髪を染めて貰った。
私はまだまだ死なないと言う親戚の人への意思表示だ。
染めて貰った後、シャワーで髪を洗ったら寒かった。
露天風呂で温めてからしたかったのだが…。
染髪後、風呂枕に寝て冷えた体を温めた。



朝食後いつもの喫茶店は日曜定休なので遠くの喫茶店に。
3時過ぎに顔馴染みの店員が帰り、初めて見る店員だけになった。
チェックの時に「カードは有りますか」と。
「割引が有るのか」と聞くと、
5パーセントだと。
「無いが、今作れるのか」と聞くと、
「作れます」と。
「IDカードを見せて下さい」
はあ?
「外人は作れません」と。
ここで苦笑い。
「ほんの5パーセントだからいいわよネ」
再び苦笑い。
「マイペンライ」(構わない)と言う言葉は出て来なかった。
言った方がカッコ良かったかなあと後で思った。


ヤクルトおばさん(隣のコンビニに配達)



さて、夜はすき焼き丼。
妻が居なくても冷凍を温めるだけだからお手伝いさんでも出来る。
私でも出来る。


愛犬は寂しそうにして居る。

遺族年金


今日は日本人会主催の遺族年金勉強会に参加した。
熱気ムンムン。
奥さんにキッチリ遺族年金を受給して貰おうと皆さん必死なのだ。
何しろタイ人奥様は日本語が読めない。
請求しようにも言葉が分からない。
しかも日本からは遠く離れて居る。
しかし、旦那の寿命は刻一刻と迫って居る。
いつ急な事が有るか分からない。
だからその時の為に、出来るだけの準備はして置こうと必死なのだ。
だから講師が言った事も何遍も聞き直して居る。
まだ言って無い事も先走って質問する。
だから講師も堪ったもんじゃ無い。
「さっき言っただろう。」
「レジメに書いて有るだろう。」
「これから説明するのだ。」
講師は質問に時間を取られるから益々早口になる。
余計に分からなくなる。
質問は最後にと言ってるのに…。
手も上げずに質問する。
講師もそれに答えようとする。
まあ、年寄りの集まりはこう言うものだ。
しかし、現役の頃は会議でもそうだったんだろうか。
手も上げずに質問して居たのだろうか。
まあ、そう言う会社も有ったかも知れない。
兎に角、第一回は終わった。
三回目にはタイ人奥さんを集めて説明するらしい。
そりゃそうだろう。
実際に申請する時は本人は居ないのだから。


日本人会の会員の奥様が作られたわらび餅(喫茶店に持ち込み)


さて、勉強会が終わって、食事をしていつもの喫茶店に行った。
ビールを飲んでたから、タイ語学習にも身が入らなかった。
そこにいつもの友達が来てお喋り。
結局、今日のタイ語学習は30分も無かった。
まあ、時間はたっぷり有る。
いつ遺族年金の請求となるかは分からないが…。


夜はハンバーグ。
この美味しいハンバーグが食べられる限り、
まだまだ死にたくは無い。


今日はピザ


昨日の夜中に柿を食べたので、朝は余り腹が減って無かった。
それで結局食べたのは12時近く。



それでコーヒーが飲める状態になった2時半頃にいつもの喫茶店に行ったら、
2つの4人席と窓際の2人席も客が座って居た。
珍しい事だが、喫茶店にとってはいい事だ。
仕方が無いので遠くの喫茶店に。
こちらは珍しい事に誰も居なかった。
唯、ガンガンとクーラーが利いて居たので頭が痛くなって来た。
それで我慢出来ずに、客が途切れた時に「緩めてくれ」と懇願した。
実は家族連れで来た客も「寒いから出ましょう」と言って出て行ったのだ。
外は晴れて暖かいのに、喫茶店の中は真冬だった。


ヤクルトおばさんと宅配のGRAB


さて、今日はピザ。
帰って見ると妻は留守で、
お手伝いさんが「用意はして行かれましたよ」と。
「飲みに行かれました」
仕方が無いのでお手伝いさんに焼いて貰うと、
しっかり焼いてくれと言ったので、
縁は硬いのだが中はぐにゃぐにゃ。
バジルの投入が早過ぎたのか、香りが抜けて居た。
でも味は良かった。
唯、イカを入れてシーフードにしてくれと言って置いたが、
イカは硬いのでダメと言われた。
それでカニカマが山ほど入って居た。
いつも通り平らげたが、カニカマが山ほど入って居たと言う先入観か、
何故かいつもより腹パンパン。


今日は餃子


朝キッチンに行くと見慣れぬ物が有った。
妻は豚の腸のネットだと言ってるが、
ネットで探しても出て来ない。(洒落では無い)
さすがタイ人。
尋常では無い物を食べて居る。
もう一つは腎臓。
これはよく見る。



私の食事は極めて普通だ。



今日はビルマ人の奥さんの在住の方のお宅に行って来た。
尿障害が有ると聞いて気になったのだ。
本人は意外と元気だったので安心した。
唯、奥さんは少しやつれられた感じだった。
やはりご苦労がお有りなんだろう。
外出もママならないらしい。
後で思ったが、買い物も行けなかったら大変だが、
親しい友人が居られるから、その方の手助けでも有るのだろう。
近年、日本人会の会員の高齢化も進み、
あっちこっちで困った事が起きて居る様だ。
私も助ける側から助けられる側に何時変わるか分からない。



さて、今日もお気に入りの喫茶店は開いてたので、庭の花を届けた。
観葉樹は多いのだが花が無いので、少し有るだけでもパッとする。
いつもの友人達がやって来て抹茶ラテを頼むと、
茶筅で泡立ててたので驚いた。
タイも中々進化して来たものだ。



相変わらず繁盛してる向かいの店



夜は餃子。
毎日こんな生活でいいのだろうか。

通夜に参列

先日お亡くなりになられた在住の方の通夜に参列した。
参列と言っても棺の置かれて居る部屋に集まり、
他の出席者と故人の事について語らい、
帰り際に焼香を上げた。
夫人は思ったより気丈な様子でホッとしたが、
寂しくなるのはこれからだろう。
タイでは日本人が亡くなった場合、病院からの遺体の搬出は領事館の権限になり、
家族と言えどもその代理人として領事館の権限を執行するのであり、
領事館からの委任状が必要となる。
それを病院に提示して初めて引き取る事が出来るのだ。
そんな手続き等で悲しむ暇も無いのだろう。
それで今日やっと自宅に帰す事が出来たのだ。
今後の事については、姉妹も居られる事だし、
それほど心配はして居ないが、
一粒種の可愛い男の子が愛おしい。
勉強は出来る子だそうだから、
それを聞いて少しは安心した。
まだ先の話だが、タイでも日本同様、大学を出ても就職先が見つからないらしい。
まだ小学4年生だから、先の先の話だが…。



さて、昼間は近くのお気に入りの喫茶店が開いて居た。
実は昨日も帰宅時には開いて居たのだが、
いつも私が出掛ける時間にはまだ開いて居ないのだ。
それで今日は午後1時に出掛けると開いて居た。
こんな調子では益々客が離れるだろう。
しかし、やっぱり落ち着く。
今日はクーラーも点けずに窓を開け放してあるので、
秋の涼しい風を存分に味わった。
しかし、ドアも開けてるので通りを行き交う車が煩かった。
もっと寒くなればドアも閉めるだろうから、
それまでの我慢、我慢。



夕食は軍艦巻き。
いつもより減らしたはずなのに、
鮭のトロが別に入ってたので、やっぱり今日も腹ポンポン。