チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

人生百年時代

日本では「人生百年時代」と言われて居るが、在住の人は割と早く亡くなる。
ガンが多い。
食べ物のせいだろうか。
唯、見た目は若く見えるらしい。
最近は日本に帰って無いのでよく分からないが、
日本に住んでる人より若く見えるそうだ。
自由で伸び伸び生きてるからだろうか。
日本に住んでた時は隣り近所を気にして居た。
それがタイに来て、隣は何をする人ぞ。
タイ人は全く個人主義だ。
百歳に後一歩で亡くなった方が居られる。
私の母より1つ年下だった。
日本人会を辞められて5年後位に訪れた時はお元気だった。
それから2-3年後だっただろうか、再び訪れた時は、反応がイマイチだった。
テレビで相撲を見て居られた。
私が訪れてもテレビを見たまま。
漸く振り向いて「よく来た」と言う目で見られた。
食べ物の事とか、散歩の事とか尋ねた。
カレーライス。
散歩は玄関から門の所までの往復。
庭には自慢のブーゲンビリアが咲いて居た。
以前はゴルフもされて居た。
その後どう言う訳か訪れなく成った。
訪れた甲斐が無かったせいだろうか。
そして、或る時、或る人からお亡くなりに成ったと聞いた。
1ヵ月以内だったと思うが、慌てて弔問に行った。
奥様はご不在で、娘さんが居られた。
「後1ヵ月で百歳だった」と何度も惜し気に話されて居た。
もう散歩も出来ず、余り食も進まなく成ったと。
今にして思うと、日本人会を辞められた事が残念で成らない。
1人淋しく過ごされたのではと。
唯、よくぞ百歳近くまで生きられた事よ。
私は来月73に成るが、とても其処までは…。
唯、百歳近くまで生きられた方が居られると言うだけで大層励みには成る。
若し私が百歳まで生きたら、妻は83。
タイ人は寿命が短いので生きて無いかも知れない。
くわばらくわばら。



今日の朝食


唐辛子


明日のお食事会の準備(ちらし寿司)


さて、今夜は豚のステーキ。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



ただお前がいい

釈迦の教え


釈迦は人生は苦で在ると説いて居る。
そう思うと苦は我慢出来るし諦めも付く。
しかし本当にそうなら自殺した方がましだ。
でも、臨終の際に、もう少し苦の人生を長引かせる事が出来ると言われれば、
私は延命を望む。
苦しみも悲しみも生きて居ればこそ感じられる。
少々サディスティックに聞こえるかも知れないが、死んだら終わり。
私は長らく共産党員で無神論者だったので、急に宗旨替えは出来ない。
死んだら魂は残らず、無機物に成る。
だから貴重な有機物の間に、喜びも悲しみも味わいたい。
人間とは不思議なもので、苦痛が続けば段々麻痺して来る。
逆に楽しみが続いても段々麻痺して来る。
だから、苦痛が続いてる時に少しの喜びが在れば、大層嬉しく思い、
逆に楽しみが続いてる時に少しの苦痛が生じれば大層苦痛に思う。
刺激は麻痺すると言う法則は動物の本性だろう。
自然に対する適合力かも知れない。
逆にそれが命を奪う事も在る。
唯、人間は苦しみの中にも喜びを見出す事が出来る。
人間とは不思議な生き物だ。
人生は苦で在ると思えば諦めも付く。
いやそれどころか、僅かな事にも喜びを見出そうとする。
唯、欲望に執着してはいけない。
それは翻って不幸の元と成る。
動物以下の人生にも成る。


喫茶店は模様替え


今日の朝食


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【300万再生突破】テレ東経済ニュースアカデミー【GWセレクション1】 豊島晋作 角谷暁子 投資 量子コンピュータ GAFA テレビ業界

私の苦悩

私の組合活動家としての人生はジャンケンから始まった。
在る地方の出先機関に奇しくも同期の2人が同時に異動で配属と成った。
小さい職場なので新人が組合役員を分担する様に言われた。
1人は其の職場の長で、もう1人は上部機関の組合役員をする事に。
ジャンケンで決めて、最初は私が勝ったので職場の分会長を。
もう1人は各職場から派遣された者で構成する支部役員に。
1年が過ぎて彼と交代した。
私は支部のスポーツ担当と成った。
元々スポーツをやって居たので、スポーツ担当はお手のものだった。
毎年、職場対抗でソフトボールやバレーボール、それに卓球やバドミントンなど、
日頃の運動不足も在って盛り上がった。
そして、京都府全体の支部対抗のスポーツ祭典も年1回在った。
そこで小さい支部ながら全員参加で全体の3位に躍り出た。
私は当然ながらバレーボールで参加し、他の人は他の種目で頑張った。
成績は兎も角、組織人員に対する参加率も得点に成った。
私は殆ど全員が参加する様促したので、参加点が大きくプラスされた。
それ以降異動するまで毎年3位をキープした。
それで私の支部役員としての人気も高まって行った。
そんな中で、革新統一の為の学者・文化人の集いにも事務局員として派遣され、
或る日、地元の共産党市議から入党を誘われた。
元々共産党アレルギーは無かったので、誘われるままに入党した。
それ以降、異動が在ってもほぼ其の先で支部役員と成り、
組合活動家としての経験を積んで行った。
そして、気が付けば、私の人生は組合活動一辺倒の日々と成って居た。
そして、選挙の時は共産党の選挙活動も熱心に行い、
退職後も戦力に成る私は足抜けが難しく成って居た。
だが、私はタイ移住を決めて居たので、何とか足抜けをさせて貰った。
移住後、偶々高市早苗の総裁選立候補記者会見を見て、
立派だったので、一躍フアンに成った。
実はそれまでに共産党の民主集中制に一定の疑問が在った。
私は派閥が在ってもいいのでは無いかと思って居た。
其れで無ければ、一個人の意見は党全体が相手に成るので、
とても太刀打ちは出来ない。
意見の同じ者同士は派閥を作るべきと考えて居た。
詳しい事は一言ではとても言えないので省略する。
それ以降、共産党の戦前の歴史や、ソ連指導のコミンテルンなども勉強した。
それで益々日本の共産党の欠点が目に付く様に成った。
唯、今と成っては、日本の為の運動に成って居たのかどうかを分析した所で、
この歳に成ってどうする事も出来ない。
私が励ました同志が今や国葬反対のデモをして居る。
私は過去の事は忘れる事にした。
どう転んでも取り返しは付かない。
忸怩たる思いで日本の様子を眺めるだけだ。
それもこれも全て私が選んだ人生。
私の胸の内に収めて置くしか無い。
日本から遠く離れた異国の地で、自分のお気に入りのYOUTUBEを上げた所で、
風呂の中で屁をこく様なものだ。



そんな私を癒してくれるのは妻しか居ない。
妻は私を全て包み込んでくれる。


昨日の夜食


今日の朝食



2022.10.11-1軍艦巻き

2022.10.11-2軍艦巻き


さて、今夜は軍艦巻き。
いつも美味しい料理をありがとう。


今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



なぜ社会人こそ歴史の学び直しをすべきか?|石川真理子


覚悟を決めた高市早苗 日本を貶めた岸田さんと林さん / 林外相と外務省の愚行を文春がすっぱ抜いた‼【マンデーバスターズ】152 Vol.2 / 20221003

妻の苦労

妻の姉と姪の子供を妻が連れて来た。
その日の内に帰ると思って居たら、泊まりだった。
市内に住んでる叔母が寝たきりに成って居て、其の見舞いに来たと。
子供は小学4年生で元気な盛り。
学校でも一番大きいらしい。
カラオケで遊ぼうとしたので、ボリュームを下げる様、叱責した。
翌日には帰るのかと思って居たら、また戻って来た。
一体いつまで居るのか妻に訊こうと思ったが、
何か事情が在るのではと思い、訊かなかった。
姉だけなら兎も角、元気盛りの男の子は神経が休まらない。
洗面所を水浸しにしたので、思わず妻に「ビチョビチョだ」と言った。
丁度、妻は布を持って拭きに来る所だった。
私の歯磨き粉もビチョビチョに成って居た。
後で見ると、綺麗に拭いて在った。
妻は目イボをこしらえて居る。
きっと睡眠不足なんだろう。
お手伝いさんの部屋が空いてるが、シングルベッドなので、
お姉さんと子供が寝るには狭い。
かと言って妻のダブルベッドに3人寝るのも辛いはずだが。
どう言う事情なのか訊いても良かったのだが、それで事態が変わる訳でも無く、
妻を責めるだけにしか成らない。
私さえ我慢すれば済む話。
いや、妻はもっと辛いだろう。
2晩泊まって、今日、漸く帰って行った。
勿論、妻が60キロ離れた実家まで送ったのだ。
娘が居るが姉を送迎出来ない事情が在るのだろう。
自分の子供を1人母に預ける事情も。
3人の子供が居る。
さて、今日は漸く夫婦水入らずと成った。
嵐が去った静けさだ。
喫茶店から帰って染髪をして貰った。
妻の目イボはまだ治って居ない。



今日の朝食


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



岸田内閣は中国のための政治を行っている


【東京ホンマもん教室×表現者クライテリオン】藤井聡・神谷宗幣対談完全版 前編

塞翁が馬


どうして此処に住んで居るのだろうと、時々ふと思う事が在る。
タイに住んで、もう14年以上に成るが、未だに不思議に思う。
いや、感慨深いものが在る。
そもそも職場のストレスを海外旅行で気分転換しようと思ったのだが、
それが偶々タイだった。
若しそんなに強いストレスが無ければ海外旅行など思いも付かなかっただろう。
今ではストレス様様とも言える。
そしてタイに来なければ妻とも出会わなかった。
初めて彼女の家で見掛けた時は、今では想像も出来ない程大人しかったのだが。
それは兎も角、こんなに料理が上手だったとは、勿論知るべくも無い。
日本で飯を作ってくれて居た時から旨いと思って居たが、
タイに住んでからは其の有難さをひしひしと感じて居る。
勿論、時々日本を恋しく思う事も在るが、
タイの気候の良さや物価の事を考えると、とてもラッキーだったと思う。
タイ移住に当たっては、若し彼女がタイ人で無ければ決心は出来なかっただろう。
ネットニュースを見る限り、日本は最悪の方向に進んでる様に見える。
タイでは広い土地を買って、広い屋敷に2人だけ住んで淋しい位のものだが、
当初は私の母と、彼女の母、姉、姪の6人家族だったのだ。
私が亡き後、田舎の親戚が我が家に住み、妻の淋しさが紛れると良いのだが。
ところで、当初の6人家族の事を誰かが「ハーレム」と言ったが、
それは少々語弊が在る、様に思う。



今日の朝食


さて、今夜は餃子。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



特番『~その2~ ジャーナリスト門田隆将氏登場!既に3刷!『日中友好侵略史』~それは70年以上前から始まっていた~』ゲスト:ジャーナリスト 門田隆将氏


日本の政治を動かした女性たち|石川真理子