チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

日本人会報に投稿

今日は見たいオリンピックも無いのでMAKROスーパーに行って来た。
いつも飲んでるコーヒーが切れたのだ。
それで買って帰って、お手伝いさんが「これ粉じゃ有りませんよ」と。
えっ、てっきり粉だと思って居たが豆だった。
やっぱりタイ語学習が滞って居る。
いや、手で触れば分かるだろう。
じゃあ、ミルでやってくれと言って置いたら、妻が「ミルは壊れてる」と。
流石タイの製品だ。
いや、妻の使い方が荒いのか。
どちらか分からないが、明日買いに行く事に…。
負け惜しみだが、豆の方がその都度挽くので香ばしいはずだ。


(アシクロビル)


それと、昨日、妻が帯状疱疹後神経痛の薬を買ってくれた。
最近、品薄らしい。
これもコロナの影響か。
ところで、今月号の日本人会報の記事を投稿した。
折角だから、今日はその記事を紹介したい。


『帯状疱疹後神経痛』
歳を取れば肩が痛く成ったり、腰が痛く成ったり、はたまた痛風に成ったりと、体のあちこちに不具合が生じるのも致し方無いものですが、初期症状が出ても全く予想も付かない病気で在ったり、長く生きてる割に知らない病気だったりして、手遅れに成る事も在るものです。私の場合は帯状疱疹と言う病気に罹り、その病気を全く知らなかったので治療が手遅れと成り、帯状疱疹後神経痛と言う不治の病と成りました。
そもそも帯状疱疹と言うのは子供の頃、水ぼうそうに罹った人が、水ぼうそうが治った後もそのウィルスは死ぬ事無く体の中に残り、それが老年と共に抵抗力が衰えた時に発症する病気です。
そして、それは近年若い人でもストレスの蓄積などに依り発症する事が増えて居るそうです。
唯、帯状疱疹自体は激痛を伴う場合で在っても、治療が適切で在れば問題無く完治すると言われて居ます。
そして、その初期症状は人に依り千差万別で、激しい時ほど医者に駆け込むので早期治療が行われて事無きを得るのですが、逆に余り激しく無い場合は医者に行くのが遅れて取返しの付かない事に成る訳です。
初期症状は顔や腕、そして腹や背中など、人に依って様々で、しかも単なる痒みや赤身または水膨れなど、他の病気と勘違いして手遅れに成る人も多い様です。
特徴は体の左右片側だけに現れると言う事です。
私の場合は最初、腰痛として現れ、接骨医に駆け込んだところ、それなりの治療を施され、症状は軽く成らなかったものの、続けて其の医院に行き、手遅れと成ったものです。
腰痛の3日目に左足に赤い発疹が出て来て、妻がスマホで調べて帯状疱疹では無いかと言ってくれたのですが、私はその病を軽く見て居ました。
それで其の接骨医も帯状疱疹の疑いも有ると言って居たので、再び其の医院を訪れました。
てっきり其の治療法を知って居ると思ったからです。
ところが実際には其の医者は適切な処方を知らずに別の薬を処方したと言う訳です。
本来、皮膚科に行って居れば適切な処方をされたはずなのだが…。
必要だったのは「アシクロビル」と言う水ぼうそうウィルスに効く抗ウィルス剤。
薬局にも売って居ます。
その抗ウィルス剤を赤い発疹の発症後3日以内に服用しなければ、ウィルスが増殖して間に合わないとされて居ます。
その後、私は大変な苦痛と共に生きる事に成るのですが、その病の恐ろしさを知ったのは、ずっと先に成ってからでした。
つまり、帯状疱疹から帯状疱疹後神経痛へと進んでしまいました。
その内治るだろうと思って居たが、既に手遅れでした。
あの時、病院に行って居ればと思う事しきりです。
元はと言えば、言葉の通じないタイの病院は敷居が高いと言う事です。
インフォームドコンセプトの進んで無いタイの医療界にも良い印象は持って居なかったのです。
これが日本なら直ぐにでも町医者に掛かった事と思います。
さて、その後の悪戦苦闘の様子については後日お話したいと思います。
(終わり)


昨日の夜食(10バーツ(約35円)プディングケーキ)

今日の朝食(ドラゴンフルーツ&山芋&フキ)

庭で採れたこぶみかん

妻が通販で買ったシメジ?


今日はこんなYOUTUBEを見て居た。
自民党の代議士が消費税廃止を言って居る。
若手議員で徒党を組んで上層部に消費税廃止を迫ったが、そのリーダーだった。

どうもスキャンダルで嵌められて、次回の衆議院選挙では推薦を貰えなかったらしい。



消費税~税理士から見た消費税の実態① 「消費税の仕組み」


オマケ

日本の空に浮かぶ32個の謎の人工衛星|坂東忠信


さて、今夜は餃子。
今夜も超ウメー!
妻に「じい」と呼ばれても構わない。
いや最近は「おじさん」と呼ばれて居る。
少し若返った様な?
「パパ」と呼ばれる日も、もう近い!

「アナタ」は永遠に無い。