チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

人生の分かれ目(その3)

今年は3月に成っても何時までも寒いなとベランダの温度計を見ると、
午前9時で22.5度。
決して寒くは無い温度だが、体感温度はとても寒く感じる。
こんな時は何時もタイに居て良かったと日本と比較してしまう。
そして、どうしてタイに住む事に成ったのかと思いを巡らしてしまう。
日本の冬、いや京都の冬は寒かった。
唯、京都の四季を懐かしくも思う。
直ぐ思い出すのが赤山禅寺。
あの寺の紅葉は綺麗だった。
そう言えば大原三千院の紅葉も綺麗だった。
一度夢に見た事が在る。
何故か他府県の観光客に成って居て、渡月橋の嵐山の桜の景色を見た時、
何て綺麗な所なんだろうと感動した。
住んで居ては分からない京都の美しさを夢で体感した。
そんな素晴らしい京都からタイに逃れて来て、
何時もタイと比較してしまう。
「何かを得る事は何かを失う事。」
正にそう言う事だろう。
そして私は景色以外のものを選択した。


話を前号の続きに戻すと、
共産党員に成ってからと言うもの、組合活動に専念した。
京都府職員労働組合のスローガンには、
「府民・住民の幸せなくして我々自治体労働者の生き甲斐、働き甲斐は無い」
と言うのが在る。
単に労働者の賃上げ・労働条件の改善要求だけでは無く、
府民の幸せこそが自治体労働者の追求すべき目標であると。
その為には骨身を惜しまず、党員としての誇りをもって邁進した。
そして、選挙の時も全力で傾注した。
それはやがて組合活動家としての胆力や党員としての経験が養われて行った。
そんな中で妻と結婚し、妻が日本へ初来日の間も無い頃、
選挙活動にも妻に協力して貰い、
妻が初めて覚えた日本語が、「ご近所の皆さん、毎度お騒がせ致します。
こちらは日本共産党で御座います。」
度々妻をうぐいす嬢に駆り出した。
子宮がんの手術をして寒い冬の最中に母国から戻って間もない頃、
ファミレスで食べた物を宣伝カーの中で全て嘔吐した事も在った。
放射線で胃が弱く成って居た。
全戸配布ビラも手伝ってくれた。
最後の方には飽きて手伝ってくれなかったが…。
私の活動は妻の精神的支えが在った。
仕事の方も精力的だった。
仕事が出来ない組合幹部では無く、人一倍仕事が出来る活動家を目指した。
最後の方には党員と分かって居ながら仕事の中枢を任された。
そんな時には上司から皮肉も言われた。
「貴方も辛いものがあるネ」と。
職場要求を纏めるのが書記長の役割で、
しかもその矛先は自分に向いて居るものも。

団体交渉の際には自分で自分の首を絞める要求を先頭に立って主張する場面も。


妻が庭のレモン&マナオ(すだち)で食器洗剤を作成。


今日の朝食(大根下ろし納豆)


3時のおやつ(あんまん)


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【ベストセラー】「朝食にパンを食べるな 10万人の胃腸を診た専門医が教える‼ 長生き食事術」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】