人生の分かれ目(その2)
当初、詐欺の様な話で学校事務職員に配属されたが、
そこで5年辛抱した。
その後やっと異動が叶い、教育委員会の出先機関の教育局に変わった。
そこは向日市と長岡京市と大山崎町を管轄する機関で、
本庁の京都府教育委員会の出先機関に当たる。
京都府教育委員会は京都市を除く府内の市町村の教育委員会を管轄するが、
それらを7つの地域に分けて出先機関を置いて居る。
その内の1つの乙訓教育局に変わり、そこで5年過ごした。
そこは学校とは打って変わって伸び伸びした職場で、
嬉しくて仕方無かった。
本庁と市町村の教育委員会の間に挟まれてるとは言うものの、
市町村からは京都府教育委員会なので、その指導は絶対で在った。
唯、人数の少ない教育局なので、本庁1課の全てを取り次ぎ、
隣の人が産休の時は4課を担当した。
しかもその人はお産を2回もした。
その間バイトが1人雇われたが、私はそのバイトを使って4課の仕事をした。
だから書類が毎日山の様に積み上がった。
そんな中で、人数の少ない田舎の教育局なので、
組合役員もジャンケンで決めた。
古い先輩が、私ともう1人の新参者に「皆順番でやってるのだから」と、
その職場の分会長(代表)と、上部機関の執行委員のどちらかをと、
ジャンケンで決めて、1年後に交代した。
私は最初は分会長だったが、2年目に執行委員に成った。
上部機関と言うのは、その地域を管轄する土木事務所などの出先機関が集まり、
それぞれ1名づつ執行委員を選出して支部を作って居る。
保健所や地方振興局や流域下水道事務所や療育園などである。
そこでスポーツ担当に成った。
元々スポーツマンの私は得意の分野で、毎年野球や卓球やバドミントンなど、
職場対抗の試合を主催した。
勿論バレーボールも有った。
そして年1回、府庁全体のスポーツ大会も催され、
我が支部は小さいながらもいきなり総合3位の成績を収めた。
成績には組合員の参加率も加味されたから、
小さい支部には有利な得点制度も在った。
それが楽しかったので、毎年執行委員をやる様に成った。
その内活動が認められて、支部の書記次長をする事に成った。
その間、地域の教員組合との共闘もし、
教員組合の幹部とも親しく成った。
そんな中、学者・文化人・労働組合などで作る「日本の平和と民主主義を守る乙訓懇談会」
の事務局員を担当し、
大阪の黒田元知事を講師に招いた「金大中事件」の講演会なども在った。
活発な活動が認められて、全国的にも乙訓の名が知れ渡った。
或る日、事務局を一緒にやって居た長岡京市の共産党議員から入党を誘われた。
学生時に同じゼミの友人から勧められて民青に入って居たから抵抗感は無かった。
それが大きな間違い?
私の人生は大きく変わった。
今日はこれまで。
今日の朝食(大根下ろし納豆)
さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。
「【異例の厳重処分】日本共産党はなぜ松竹伸幸氏を除名したのか?」斎藤幸平と松竹伸幸が“共産党のアップデート”を提言