チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

物は考えよう

「物は考えよう」と言うと、「さあ、考えましょう」と言う意味にも取れるので、
日本語は中々難しいが、
私が言いたいのは「見方に依っては違う考え方が出来る」と言う意味。
歳と共に一面的な見方に成り易いのかも知れないが、
最近、どうも柔軟な思考が欠け勝ちに成ってるのかも知れない。
それでストレスが溜まるのだが、
若い頃は禅宗の本を読んだりして、
ああでも無い、こうでも無いと悩んだりした。
今は若しかしたらそう言う思考が欠けて居るのかも知れない。
唯、中々そう言う風にも考えられない。
人生、間も無く終着駅を迎えようとして、
もう人生の何たるかが全て分かった様な気がして居るからである。
だから一々悩む前に速断してしまう。
詰まり、「気が短い」とも言う。
焦りが在るのか、ゆとりが無い。
いや、もうお迎えが来ようとしているのに、余裕が有るハズが無い。
だから速断的に成るのは無理も無いのだが、
それで却って損をして居る。
人生いつまでも余裕を持って生きたいものだ。
偶には道元禅でも読みたいものだが、
最近は諸事に追われて余裕が無い。
この歳に成って、まだやりたい事が沢山有るからだ。
詰まり、我欲に囚われて居る。
「だって、人間そんなものですよね」と自分に弁解して居る。
ところで、考えように依っても、どうしようも無いものも在る。
例えば私の帯状疱疹後神経痛。
これが考えように依って、何でも無いもので在ったり、
有難いもので在ったりする訳が
無い。
痛いものは痛い。
痺れるものは痺れる。
これが「心頭滅却すれば火もまた涼し」何て事に成れば、
それはそれは嬉しいところだが…。
恐らくそれは無理な話。
唯、もっと不幸な人が居るだとか、
まだましな方だとか考えるのは、ちょっと違う様な気もする。
でもそう考えて置くのが手っ取り早い。
もう難しい話はご免だ。
いや、それどころか、私はすこぶる恵まれて居る。
そう考えて置く事にしよう。
決してバチは当たらない。
誰に迷惑も掛からない。


これでいいのだろうか。
取り敢えず、これで今日のオチは着いた。


昨日の深夜食


今日の朝食(大根下ろし納豆)


今日の昼食(水餃子


さて、今夜は天ぷら素麵。
やっぱりすこぶる恵まれて居る方だろう。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



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