チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

チェンライの寿司屋(OSHINEI)報告

昨日は新しく出来た寿司屋(OSHINEI)に行って来た。


290、350、500バーツのブッフェと一品のどれにするか、
一瞬迷ったが、一品は一貫250だとか300とか言う値段が目に入ったので、
500バーツ(約1,650円)のブッフェにした。


290バーツのブッフェは、裏巻きと豚カツとカレーと天ぷら。
350バーツのブッフェは、裏巻きとタイスキ。
500バーツのブッフェは、刺身だった。


刺身は、鮭、マグロ、イズミダイ、タコ、しめ鯖、カニカマの6種類。
イズミダイは、家に帰ってネットで調べたら、ティラピアと知ってビックリ。
よく喰われなかったものだ。
タイと書いてあるから、旨い旨いと思って喰ったのだが、
実際のところ味は淡白だった。


鮭の炙り丼は、まあまあだった。
唯、ネタの種類が少ないので、自ずと限界は有った。


後で知ったのだが、メニューの裏面に載って居る豚カツとか天ぷらとかも
500バーツのブッフェに含まれて居るとの事だったので、
それを知って居たら、もう少し良かったのにと惜しい思いをした。
もう、腹満腹で後の祭だった。


まあ、味はイマイチなので、妻はもう二度と来ないとの事。
私は、再度500バーツに挑戦して、豚カツも天ぷらも喰いたいのだが…。


お気に入りの市場再び!!

今日は久し振りに、お気に入りの市場に行って来た。

女中さんがビルマから未だ戻らないので、妻と行って来た。
妻と行ったので、荷物持ちは当然私なので、写真は撮ってられないのだが、
買い物が済んでから、彼女を車に待たせて、私一人写真を撮りに行った。


とても暑かったから、冷房の効いて居る車内で待って居るのは、

ご機嫌だった(ハズだ)。
彼女と一緒に行って写真を撮ったのは、若しかしたら初めてかも知れない。




久し振りの再会

昨日は久し振りにプールに行って来た。
約1カ月振りだ。
懐かしい顔とも出会った。


以前、若い日本人が、市内で居酒屋をやって居たのだが、
そこは、タイ人相手の店で、3人の従業員が居た。
そのリーダー格の彼と会ったのだ。


今はもう店は無く、オーナーの若い日本人は、日本に帰って居る。
その店は、テラスに席が有り、若い客で結構いつも賑わって居て、
中にカラオケルームも有った。
ラム酒などをかき氷とシェイクして飲む「ラオパン」と言うものも
そこで覚えた。


そして、彼にタイ語の歌を3曲教えて貰った。
勿論、タイ語は読めないので、英語で書いて貰った。
彼は、その若いオーナーと歌舞伎町で知り合い、
店のオープンに合わせて、チェンライに戻って来たのだ。
だから彼は日本語が話せる。
料理も勿論出来る。


でも、今はチェンライの片田舎で、病気の母の面倒を見て居るので、
仕事が出来無いし、田舎では仕事も無い。
頭が良くて、人当たりもいい惜しい人材だ。


他の従業員だった二人は、市内で働いて居ると言う。
一人はビルマの若い青年で、身寄りが無かったので、
その若いオーナーが引き取って居たのだ。
働き口が見つかって良かった。
もう一人はMr.レディーで、何故か気が合ったので、
閉店後、彼ら3人をディスコによく連れて行ったものだ。


カラオケ代は無料で、そのラオパンと摘み代だけだったので、
いつも大体200バーツ(当時約600円)位だった。
余りにも安いので、いつもチップを一人100バーツあげた。
それでも、日本の事を思えばタダ同然だ。
日本のスナックに一度行けば、いつも5千円は払ったはずだ。


その若いオーナーともよく喋った。
歌舞伎町のナンバー1だったかどうかは忘れたが、
客の相手はプロだった。
そう言えば、一度歌手デビューを誘われた事が有ったと言って居た。
歌手デビューにしては、歳を取り過ぎて居たので断ったと。
一度ディスコかどこかで歌を聞かせて貰った事が有る。
踊りも含めて、まあそれなりのものだった。


もう6年以上も前の話だ。
懐かしい顔と出会えて良かった。



タイに住んで10年(其の8)


あと数日で、早期退職後の来タイ日から10年経つ。
10年経って、どうやら今後の生き様が見えて来た。
何も無ければ、母と同じ様に死に往くのだろう。
私は母の死に様を見て来た。


何も無ければと言うのは、例えば交通事故でポックリ死ぬかも知れない。
いや、ポックリ死なずに、怪我で寝たきりとなるかも知れない。
それなら心筋梗塞でポックリ死んだ方が楽だ。
いやそれも必ずしもポックリとは往かないかも知れない。
父の様に、何度も発作を繰り返し、苦しい目をするかも知れない。


だが多分母と同じ様に、ゆっくり死に向かうのだろう。
後に残された妻は、悲しいだろうが、彼女には近くに親族が居る。
私には居ない。
若し逆なら、大変な事だ。
また一からパートナーを探さなければならない。


そうなると地獄だ。
在留邦人で孤独死が在ると言う。
私は妻より先に死にたい。


寝たきりでもいいから、先に死にたい。
寝たきりになったら、安楽死を望むかも知れないが、
未だタイでは一般的では無い。
寝たきりになれば、認知症になって、そんな事も分からなくなるかも知れない。


今の内に終活をして置かなければ。
妻が無事に遺族年金が貰える様に、今出来る事はして置かねば。
それさえあれば、妻は悲しくとも、何とか生きては往けるだろう。


出来る事なら、母と同じ様に長生きをして、
ゆっくりと死に向かいたいものだ。
母は96で亡くなったから、私には未だ28年間残されて居る。


28年て長いんだろうか。
10年はあっと言う間に過ぎたから、恐らくきっと、あっと言う間だろう。
彼女と結婚してからの20年も、あっと言う間だったから。



一昨日の朝食 エビ卵焼飯


昨日の朝食 ホットサンド


昨日の昼食 刺身と茶碗蒸し


もし後30年生きたなら、妻との結婚生活は50年となる。
日本では、金婚式と言うそうだが、
タイにはそう言うものは無いから、私の心の中で祝う。


死ぬ時には、「先に死んでご免」と心の中で呟くだろう。
そして母と同じ様に、「ありがとう。楽しかった。」と言って死にたい。