チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

街中のポタリング

最近は雨が降らず、暑い日が続いて居たので、
もう雨季も終わりかと思って居たのだが、
ここに来て、また雨が降り出した。
昨夜は結構降り、今日は寒い位の天気になった。
まだ雨季は終わって無い様だ。
雨季の雨は夜降り、昼に止む。
だから私は雨季が大好きだ。
夜寝てる間に降って、朝には止んでるから何の支障も無い。
そして、その日はとても涼しい。
昨日の雨もそう言う雨だ。
天気予報では中旬まで続くそうだが、私はもっと続いて欲しい。
クーラーを点けなくてもいいし、適度な湿気が有って心地良い。
こう言う時期は、バイクで街中を見て回るのが好きだ。
大きな樹の有る所を見ると、こう言う所に住めればなあといつも思う。
「この樹何の樹、気になる樹。」と言う日立の広告に出て来るあの大きな樹だ。
タイの街中には所々ああ言う樹が茂って居る所が有る。
この土地を買うには、今の家を売ったら買えるだろうか、
何て考えながら走るのが、一つの楽しみになって居る。
唯、今の家は大き過ぎて買う人は居ない。
何しろ分譲地の6軒分を買ってしまったからだ。
しかも今の家には大きな樹が無い。
ああ言う樹があれば、その下に家を建てればとても涼しいのだ。
住んで見たら虫や蛇が多くて堪らんかも知れないが…。
ああ言う樹は何十年と経って居るから、
家を買ってから植えても間に合う様な代物では無い。
だから買う時にそう言う土地を探すべきだったのだ。
そんな事は家を買う時に気が付くはずが無い。
タイ人では無いからだ。
妻も元々そう言う嗜好が無いから、そう言うアドバイスをするはずが無い。
まあ、成るべくして成ったと言う事だ。
そんな事を考えながら、涼しいチェンライの街中を走って居る。



今日の朝食。赤だしぶっ掛けご飯とアスパラ。


未来予測図

昨日、以前新居探しのお手伝いをした在住の方が訪ねて来られた。
以前DVDを500枚ほどお貸ししたが、見れないと言って返しに来られた。
海賊版だから再生機によっては見られない事も有るが、
一部見れなかったし、もう面倒臭くなったとの事だった。
それで我が家の巨大ゴミペールでの入浴を以前お話したのだが、
それを試したいと言う事で、我が家の其の風呂桶に足を入れようとしたが、
高くて入れなかった。
諦めて帰られたが、何か私の未来も見えた様な気がして、少し寂しくなった。
私もあぁやって段々年を取って行くんだなあと。
色々試したい事も有るが、段々出来なくなる。
そして、少し出来ないと面倒臭くなる。
結果、行動範囲も狭くなり、
閉じこもりとなる。
その方は80で歯も悪く、足腰も弱い。
もう余り楽しみが無いのだ。
DVDがダメなら、フラッシュメディアと言う手も有る。
コピーして後日お渡しすると約束して置いた。
今其のコピーをして居る。
少ししただけで、腰がだるくなって来た。
私も後を追って居る。


いや、食べたばかりなのに、もう腹が減って来た様な気がする。
私はまだまだ大丈夫なのか。



今日の朝食。鯖と蛤の吸い物ぶっ掛けご飯。


チェンライCRバスの発足記念式典

チェンライ空港とバスターミナルなどを結ぶ路線バスが、明日から運行されるが、
それに先立ち、昨日、発足記念式典が行なわれた。
市長など100名ほどが集い、日本人も数名参加した。
市内の目抜き通りを走るが、渋滞時はかなり遅延が予測される。
尤も其の方が観光客はゆっくり市内が見れて良いかも知れない。
最近はスマホも普及して居るので、
GPSで位置確認をしながら、街を眺めるのも乙な物だろう。
ちなみにチェンマイのCRバスも一律20バーツ(約66円)の様だ。
私も用も無いけど、野次馬根性で一度は乗って見たいものだ。
車椅子での乗り降りも出来る様だから。(関係無いか。今のところ。)



高校時代の思い出(其の2)

私は此のブログをFACEBOOKにシェアして居るが、同窓生からコメントが有った。
そして、高校の卒業アルバムを懐かしく見て居て思った。
心臓肥大になるほど激しくスポーツをしなければ良かったと思って居たが、
アルバムを見て、高校生活の素晴らしさ、今はもう二度と戻れない青春時代に、
死ぬほど練習し終えたバレー生活の充実感が有った事を。
たとえ年老いて後遺症に悩もうとも、何もしなかった高校生活に比べて、
私の選んだ道は良かったのだと。


そんなバレー生活を終えた後の学園祭で、クラスで一番可愛い娘に電話して、
フォークダンスに誘った。
普段は喋った事も無かったが、
私には自信が有った。
私は当時、学校で超が付くほど女生徒から人気が有り、モテモテだったのだが、
何しろ練習に明け暮れて、それどころでは無かった。
しかも、晩熟だった。
それが退部してから、つい気が緩んで電話をしてしまった。
二つ返事でOKだった。


何十年か後に、偶々病院で彼女と出会った。
私は気付かなかったが、彼女の方が私の名前を見て声を掛けてくれた。
彼女はその病院で働いて居た。
久し振りに会った彼女は、すっかりおばさんになって居たが、
テキパキとした品のいいキャリアウーマンに見えた。
おばさんになっても、どこかチャーミングだった。


もう、お分かりでしょう。
貴方の事ですよ。
恥ずかしいから此のブログを見ないでネ。




高校時代の思い出


何の脈絡も無しに、昔のことが突然頭に浮かぶことが時々ある。
それも食事時に多い。
高校時代の学園祭の模擬店で、中華そばを作っている時の写真。
これは写真に残っていて、アルバムに貼ってあるからこそ、思い出すのであって、
模擬店で、これ以外のことは中々思い浮かばない。
辛うじて覚えているのは、生麺を家の近くのそば屋さんで買ったことぐらいである。
中華そばの模擬店をやったのは、私が2年の時だから、
何故私の家の近くのそば屋さんで買ったのか。
だって2年生だから、先輩の言われるままに動いていたのだから、
そんな大事な生麺の仕入れを私がするのは不思議な話だ。
大人しい私が、近所のそば屋さんのそばは旨いと強行に主張するなんて、
今から思っても考え難い。
それと不思議なことに、私が3年になった時の模擬店の記憶が無い。
よく考えて見ると、夏の国体が終われば、3年生は退部するのだ。
そして、学園祭は秋にある。
だから私が3年の時は模擬店をやって無いのだ。
そうすると、何故私が2年の時に、先輩の言いなりになっていたんだろう。
3年生はとっくに退部しているはずだ。
だが言いなりになっていた記憶は確かにある。
やっぱり国体後、2年生が私一人になって、先輩達は心許無かったのだろう。
そして、2年生が一人だから、部室にも来やすかったんだろう。
退部してもまだ心はバレー部員だったのかも知れない。
逆に私の場合は、退部したら部室には行きにくかった。
もう既に天下は明け渡した感があった。
私の1年下も2年下も大勢いたからだ。
しかも、私が3年の時の戦績が良く無かったことも大きな一因だ。
それで、退部後も私は後輩の指導にも殆ど行かなかった。
勿論受験勉強で忙しかったこともあるのだが…。


前にも書いたが、私の所属していた男子バレー部は、
進学校でありながら全国3位と言う成績を私の3年上の先輩達は残している。
その内の一人は、当時、全国ナンバーワンアタッカーと言われていたらしい。
唯、私が3年の時は、その名門の伝統を守れず、府内予選1回戦敗退となった。
そして、私が退部したら直ぐに、府内でシード校になった。
自慢にもならないが、そんなとこに所属していたと言うことだけでも自慢したい、
話相手の無くなった爺の戯言と思し召し下さい。