安心の新喫茶店(25)
大晦日と元旦の間には時間の流れが有るだけなのに、
午前0時が過ぎると、何か新しい時が来る様な気がする。
何か神妙な気持ちになって、厳かな何かが始まる様な気がする。
それは決して愚かな事では無いし、無駄な事でも無いのだろう。
気分を一新して新たな何かを始めるのもいいだろう。
差し詰め私はこの一年の内にタイ語学習を完成させ、
街の看板を見て即座に意味が分かる様になりたい。
そして、出来る事ならタイの歌を一曲でも二曲でもマスターしたい。
マスターして何になるのかって?
歌う機会も無いのに、独りで歌って自己満足して居よう。
また、楽しみが増えると言うものだ。
さて、朝食は勿論お節とお雑煮。
妻が沢山作ってくれたので、食べ切るには相当時間が掛かるだろう。
と言う事で、いつものメニュー表の順番は一時お預け。
期せずして旧年と新年の断絶が生まれた。
ただ単に時間の経過だけでは無かった。
これも人間の文化、いや、私の文化なのかも知れない。
そして、喫茶店に行って旧年と何の変りも無い事が確認出来る。
とりわけ喫茶店は一日も休まないから全く継続した生活となる。
歳を取ると変化が苦手になる。
毎日同じが楽なのだ。
体の調子も保ち易い。
気持ちの調子も…。
さて、今日は喫茶店にお節を持って行った。
昨日奥さんに持って来ると言って置いたのだ。
今日は奥さんとは会え無かった。
今日の客はいつもの友達だけで他の客は来なかった。
店としては淋しいだろう。
折角正月から開けて居るのに。
だから4時過ぎまで粘った。
帰り際に「入れ物は明日お返ししますから」と。
急がなくてもいいのだ。
折角綺麗に重箱に詰めてあるのだから。
「急ぎませんよ」と言って置いた。
夜はお節。
いや、夜もお節。
妻が「よく飽きないね」と。
沢山作らなくてもいいのだよ…。