チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

安心の新喫茶店(25)

大晦日と元旦の間には時間の流れが有るだけなのに、
午前0時が過ぎると、何か新しい時が来る様な気がする。
何か神妙な気持ちになって、厳かな何かが始まる様な気がする。
それは決して愚かな事では無いし、無駄な事でも無いのだろう。
気分を一新して新たな何かを始めるのもいいだろう。
差し詰め私はこの一年の内にタイ語学習を完成させ、
街の看板を見て即座に意味が分かる様になりたい。
そして、出来る事ならタイの歌を一曲でも二曲でもマスターしたい。
マスターして何になるのかって?
歌う機会も無いのに、独りで歌って自己満足して居よう。
また、楽しみが増えると言うものだ。



さて、朝食は勿論お節とお雑煮。
妻が沢山作ってくれたので、食べ切るには相当時間が掛かるだろう。
と言う事で、いつものメニュー表の順番は一時お預け。
期せずして旧年と新年の断絶が生まれた。
ただ単に時間の経過だけでは無かった。
これも人間の文化、いや、私の文化なのかも知れない。
そして、喫茶店に行って旧年と何の変りも無い事が確認出来る。
とりわけ喫茶店は一日も休まないから全く継続した生活となる。
歳を取ると変化が苦手になる。
毎日同じが楽なのだ。
体の調子も保ち易い。
気持ちの調子も…。



さて、今日は喫茶店にお節を持って行った。
昨日奥さんに持って来ると言って置いたのだ。
今日は奥さんとは会え無かった。
今日の客はいつもの友達だけで他の客は来なかった。
店としては淋しいだろう。
折角正月から開けて居るのに。
だから4時過ぎまで粘った。
帰り際に「入れ物は明日お返ししますから」と。
急がなくてもいいのだ。
折角綺麗に重箱に詰めてあるのだから。
「急ぎませんよ」と言って置いた。



夜はお節。
いや、夜もお節。
妻が「よく飽きないね」と。
沢山作らなくてもいいのだよ…。