チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

タイの極楽

こんなに快適な日々が毎日続いていいのだろうかと言う位、
タイに来ていつも思う。
こう言う事を実感するのは、
夜のポタリングから帰って、
家の中に入ると少しムっとするのだが、
外気を窓から扇風機で取り込み、
室内では壁掛け扇風機を回し、
ベッドにゴロンと横になって居ると、
とても心地良くて、
そう言う時にいつも思うのだ。


ベランダに出て温度計を見ると、
何と30度を指して居る。
体感温度はもっと涼しいのだが、
何故か温度計は30度。


庭からの涼しい冷気を感じる。


普通、30度と言えば、エアコンを入れるギリギリの温度だ。
室内計も30度を指して居る。
扇風機を回して居るので結構涼しい。


日本は地震だとか、豪雨だとか、色々大変そうだが、
私はタイと言う正に気候の桃源郷の様な処に住んで居て、
若し、仏教徒なら、極楽浄土に居る様だ。
いやいやキリスト教徒なら、天国に居ると思うかも知れない。


いやいやそう言う訳の分からん事を思ってしまうほど心地良い。


30度で心地良いと言うのは、いよいよ悟りの世界に入る寸前だろうか。



一眼レフで窓の外の扇風機を撮ろうとしたが、やはりそれ程鮮明では無い。

今日はバカチョンを持って、ポタリング。


一眼レフの取り扱い説明書に従って変更して見たけど、
今のところ未だバカチョンの方が綺麗に写るので、
今日はバカチョンを持って、ポタリングに出掛けた。
やっぱり軽くて使い易い。
とても気楽に撮れる。
唯一つ気付いた事は、一眼レフは続けて撮れる。
バカチョンは保存に時間が掛かるのか、何故か続けて撮れ無い。
暫く待ってから次のシャッターを押す。
続けて撮れるのが良いか、軽いのが良いか、
今のところ変な選択だが、少々待っても軽い方が良い。
その内、一眼レフで綺麗に撮れる様になれば、
少々重たくても、一眼レフでバシャバシャ撮る様になるだろう。


一眼レフ


バカチョン


今日の朝食 味噌汁ぶっ掛けご飯と茶碗蒸し

一眼レフを持って、ポタリング。

昨日は6-7年前に買った一眼レフを持って、ポタリングに出掛けた。
何時買ったか覚えて無いので、ネットで見たらキヤノン EOS Kiss X5(7代目)は、

2011年の3月に発売されて居る。
そして、私が帰国したのは、2011年と2012年の春だから、その何れかだ。
買ってから殆ど使わなかった。
持ち運びに嵩張るからだ。
そんな事は分かって居るのに、帰国した時にしか買えないと思うと、
つい買ってしまったのだ。
それでブログを書く今になって、ふと思い付いた。
今までバカチョンで撮って居たが、一眼レフなら何か違うだろうと思った。
そして、昨日撮りに行ったが、家に帰ってびっくり。
全部ピンボケ。
実は昔、フイルムの一眼レフで、痛い経験が有るのだ。
京都で開いた大事な組合の全国集会で、カメラマンを任されて、
慣れない買いたての一眼レフで撮りまくったところ、
現像に回したら、全部ピンボケ。
私は青くなった。
書記長の困った顔が目に浮かんだ。
京都の面目丸潰れを思い悩んだが、私的に撮って居た人の写真を借りて、
何とか凌がれた。
流石書記長と思ったが、話はかなり脱線したが、またしても同じ失敗をした。
今度はデジタルだし、全自動で全てお任せだと思って居たが、
結果は全てピンボケ。
家に帰ってネットで調べて見ると、
AF・MF機能とか初めて聞く言葉だが、どうやら基本的な事らしい。
そして、まずAFにセットしてとか書いて有ったが、MFになって居た。
そして、試しに部屋の中で一眼レフとバカチョンで撮って比べて見た。
そしたら、何とバカチョンの方が綺麗に写る。
そして、一眼レフの方は妙に近くに見える。
ここで気が付いた。
ズームリングもお任せだと思って居たのだが、
これを回すと遠くに見えた。
何だ望遠になって居たのだ。
少なくともこれは自分で回して、ズームするかしないか決めなければならない。
こんな初歩的な事も気づかなかった。
他にも色々書いて有るが、まずはこれで再挑戦して見よう。
何しろ全てお任せだと思って居たのだが、これでは一眼レフを使う資格すら無い。
恐らく何でもかんでも妻と女中さんに甘えた生活をして居るので、
とてつも無く依頼心が増大して居る事の反映だろう。



一番ましなピンボケ写真。


バカチョンで撮ったカレーうどん。


一眼レフ。やっぱりバカチョンの方が綺麗。

ブログの再開

暫くブログを書くのを止めて居ると、とても解放された気分で、気持ちが楽になった。
ブログ村の順位に拘るのは日本人の特性だと、知人に指摘された。
やはりそうなのかも…。
そして、ブログを書くのは人に情報を与えるだけで、
何の得るものも無いと彼は言う。
確かにその通りだが、創作の喜びが有ると言う点で、
それは例えば小説を書くのと同じ様なものだと思う。
そして、読者の存在を前提にして居ると言う点でも、
小説を書くのと同じ様に、情報発信をして居ると言う喜びも有る。
だから全く無意味では無いと思うのだが、
ブログ村の順位に拘ったり、毎日書かなければと言う強迫観念に縛られるのは、
如何なものかとも思うので、これからは、書きたい時だけ書く様にするつもりです。
元々皆さんはその様にされて居ると思うのだが、
どうやら私は知人が指摘する様に、特に日本人的だったのかも知れない。


以前にも同じ様な事を書いたと思うが、
その後何時の間にか毎日書いて居る。


まあ、取り敢えず今回も書きたい時だけ書く様にするつもりです。


それに今回特に気になったのが、読者登録をして頂いて居る皆さんにも、
何か申し訳無い気がして居ました。


それは以前私が読者登録をして居る人が、急に退会された時、
とても寂しかったからです。


私の場合はそんなに思って下さる方は居ないと思いますが、
何しろ自意識過剰なので、ついつい余計な事を考えてしまいます。


まあ、取り敢えずのんびり再開したいと思います。



暫く休んで居たので、食事写真が溜まってしまいました。

ホタテ。一個当たり192円。高い!


ふくろ茸炒め。


ピーマンの肉詰め。


それにしても、サッカー日本代表 勝ち点3!!
良かった! 良かった!
未だに余韻が残って居ます。
もう、ビデオを何回見たことか!

夢の話

昨日は変な夢を見た。
夢というのは元々変な夢と言う風に相場が決まって居るものだが、
夢は深層心理を反映して居るので、自己分析には持って来いの材料なので、
それを分析して、何とか自分の深層心理を明らかにし、
今後の生きる参考にしたいと思って居るのだが、
如何せん、目覚めると同時に忘れてしまう事が多いので、
今日の様に覚えて居る時には、何処かにメモをして、
後日分析したいと思って居る。
後日と言うのは、今の私の知識では十分な分析が出来無いと思って居て、
それは例えばフロイトの「夢判断」だとか、
「精神分析学入門」だとかの本を読んでからと思っているからだ。
しかるに、読書の方は一向に進んで無いから、結局、何も出来て無いのだが…。


昨日の夢は、エジプトか何処かの国の公共事業のプロジェクトに参加する夢だった。
妻が其の国の人間だから、妻に翻訳して貰らえると言う利点が有るので、
私が選ばれたと言う風なシチュエーションで、
何が何だか訳が分らない内に、契約書にサインさされ掛かったのだが、
その工事をする中小企業の担当者が通訳同伴で説明会に出席し、
その報告会に聞きに行ったが、中々話さない。
いつまで経っても要領を得ない話でイライラして居たら、
どうやら儲けが予想以上に少ないのが問題の様だった。
そこで私は「国が3分の2で、地方が3分の1。そんな事も知らないのか」
と怒鳴った。
国が委託する大企業の下請けを、地元の中小企業が担当すると言う意味だが、
そしたら、「よくご存知ですね」とか隣に座って居る人が言ったので、
「私は元公務員だ。」と言った。


夢は未だ続くのだが、一体どうしてこんな夢を見たのか不思議だ。
この中には色んな要素が含まれて居るが、
考えて見ると、一つひとつが、私の経験なり、今置かれて居る環境で構成されて居る。


唯、どうしてこんな組み合わせになるのかは、全く不思議なのだが、
フロイトの本さえ読んで居れば、それは解き明かされるはずと思うのだが、
今はブログに嵌って居て、タイ語学習さえやっていない。


折角、日通に高い金を払って日本から持って来たのに、実に勿体無い話だ。
この調子では、全く読まずに、時ばかり経過して行く。
その内認知症になって、後の祭りと言う事になる。


暫くブログを止めてでも、持って来た本を全部読んで、
有意義な老後を過ごすべきだ、と言う天の声も聞こえてきそうな気もする。
夢の話から、とんでもない方向に話が行ってしまったが、
これも只のブログネタの話として、明日から又何も無かった様に
ブログを書き続けて居るかも知れないし、そうで無いかも知れない。


ちなみに、心理学の本は20冊ほど。
哲学の本は数え切れない。
歴史の本も数え切れない。
死ぬまでに全て読めるかどうかも分らない。


最後まで取り留めの無い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。


今日のポタリング