チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

府税事務所から保健所へ(自叙伝)

(昨日のつづき)


次の勤務場所は田舎の保健所だった。
狭くて急峻な峠を二つ越えて行くので車を買い換えた。
お陰で首が痛く成ったが、異動すると直ぐ治った。
やっぱり通勤のせいだと分かった。
他の峠を峠とも思わなく成った。
今はそれぞれ京都市と南丹市に統合されてる京北町と美山町が管轄。

40分掛って着くと、其処は別天地だった。
昼休みは山の中に入って自然と触れ合えた。
唯、残業は憂鬱だった。
残業後の帰宅が辛かった。
差し押さえ担当から障害者担当に成った。
身体障害者、知的障害者、精神障害者の担当だ。
町からの障害者手帳の進達や断酒会の開催、共同作業所の視察。
此処でも進達先の本庁の担当者や町の担当者はベテランで、手帳の申請に不備が有ると本庁から叱られた。
珍しい障害者補助金の申請が出て来た時はびくびくした。
当時それほど一般的では無かった多動児補助の申請だった。
複雑怪奇なマニュアルは有ったが、本当に当て嵌まってるか半信半疑だった。
町の担当者も初めてのケースで不安だったろう。
それから町の障害者スポーツ大会の視察。
妻を呼んで一緒に弁当を食べた。
その他には管轄内での献血活動や被爆者援護も担当した。
広島からの移住者が1人居た。
献血活動はのぼりを立てて、選挙の街頭宣伝の雰囲気も在った。
勿論、本庁の薬務課が献血カーでやって来た。
ところで上司の保健課長は元保健婦長で、町の講演会などでは立て板に水の雄弁な人だった。
町民からは「婦長さん、婦長さん」と慕われて居た。
次長からは行政能力が無いと揶揄されて居た。
保健師達は8020運動を展開して居た。
(80歳時に自分の歯を20本残す事)
組合では異動後直ぐ分会長をやった。
折からの統廃合の嵐で1年後に大きな保健所の出張所に成り、2年後に統合された。
1年後は統合との噂が有ったが出張所として残ったので、「周山保健所に倣え!」と言う運動に成った。
今は建物だけ残って居る。
分会旗は今も我が家に有る。
統合時の事務引き継ぎは大変だった。
3月31日までの勤務内容を引き継ぎ書に書いて段ボール詰めしなければならない。
誰か来客が有ったらその事も書き留めて置かねば成らない。
町や本庁は遠慮して電話して来なかった。
4月1日は次の職場に行くのだ。
行政は継続が大事だから一言一句も引き継がねば成らない。
残業はしたものの、完全なものと成ったかどうかの記憶は無い。
通常の異動なら前任者に電話で聞けば良いが、引継書等全ての文書は暫く段ボール詰めの侭だ。


次の勤務地は家の近所の資料館に成った。
前の保健所と比べたら残業は全く怖くない。
土日は交代制で庶務課は1人に成るので、弁当はいつも妻が自転車で届けてくれた。
いつも保安の人に冷やかされた。
最初は経理係だったが、「執行体制の為なら異動しても良い」と書いたら庶務係に異動に成った。
職場の書記長だったので、まさか中枢に異動するとは思って無かった。
ビル管理を委託してる館内技師と連絡を取ったり、職員の健康管理記録や健診なども担当。
年に一度レントゲン車が来るので、館内に様々な臨時健診室を設定。
その他には館で保管してる美術品を京都文化博物館で展示する際の受け渡しや紺綬褒章の進達。
被受章者を文博の学芸員が文部省に内諾を得て申請して来るが、被受章者の犯罪履歴を府警に照会。
重文の資料なども書庫に有るので職員以外は入れないが、普段職員も入らない保管庫には美術品が。
迷路の様で保安員の案内が無いと迷子に。
消防署の点検の際はマズい物が廊下に有る時は保安と一緒に隠す。
そう言えば退職後タイに来てくれる小学校の同窓生がその消防署の副司令だった。
年に一度の煙探知機や熱探知機、スプリンクラーの業者点検も保安に案内して貰う。
その他諸々併せて36種の担当をして居た。
どこまで進んだか覚えて居れないので、都度パソコンに進捗状況を記入した。
それをそっくり其のまま後任者に渡した。
仕事の様子がよく分かっただろう。
中身は殆ど覚えて無いが担当数だけは覚えて居る。
そう言えば書庫の古い給水管が破れて職員総出でバケツリレーした事が有る。
そもそも何故剝き出しの給水管が書庫内を通って居たのかも不思議。
一旦落ち着いたところで、普段大人しい館長が気の強い次長と口論して居た。
逆に下水の排水管が詰まる事はよく有った。
保安で手に負えない時は業者を呼んだ。
書記長をして居たので当局交渉もしたが、当局からは「貴方も苦しい立場だネ」と皮肉を言われた。
自分が回答の一部を担う部分も在ったのだ。
(分かって居て要求書を書いた。)
「赤旗」を次長に配ったりして居たので、まさか庶務係に異動するとは思って無かった。
選挙の時は資料館近くの駅頭で朝ビラをして居て上司や同僚に渡したらびっくりされた。
或る上司との折り合いが悪く、また酷いプログラムの電子決裁が導入されたりで、58で退職した。
退職時の挨拶はコップクンマークカップ、チョークディーカップと言う言葉で締めた。
新任の館長は「資料館の職員は多士済々だ」と驚いて居た。(現館長も定年退職)
退職後、資料館をガラス張りのデザインに建て替えると言うニュースを見たが、飛んでも無い事だ。
火事に弱いし、防犯上も問題が有る。
本庁の考える事は非常識だ。
唯、その案は撤回された様だ。
昔の資料館から少し離れた場所に移転されたが、タイに居ても何か寂しさを感じる。
まるで母校が廃校に成った様な…。
資料館の建物は昭和38年建築で老朽化して居たが、出来れば同じ場所に建て直して欲しかった。
唯、二度も書籍を移転するのは大変だ。


(つづく)



今日も喫茶店の後プールに行ったが、2時で凄く暑い。
それで水に入ると心臓マヒに成りそうな位冷たいのを頑張って入った。
暫くすると慣れて来る。
1時間ほどして上がると体が冷え切って居る。
休憩室を覗くとコンセントが有るので此処でパソコンを使えそうだ。
窓は閉まって無いので暑い筈だが体が冷え切ってるので全然暑く無い。
此処でもパソコンを打つと1日中ブログを書く事に成る。
プールでも体力を消耗する筈だし、頭脳労働でもエネルギーは消耗する筈だ。
それで食欲が増す事に成る。
良い様な悪い様な…。
まあ、ボケ防止には繋がるから良しとするか。



今日の朝食


さて、今夜は麻婆豆腐丼。
いつも美味しい料理をありがとう。