チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

友人の帰国後(其の2)

友人が帰国して4日後、頭のふらつきは依然として治らないが、
胃腸の方は殆ど良くなり、食欲も以前と同じ位に戻った。
頭のふらつきは多分三半規管の不調のせいだと思うので、
回復には相当時間が掛かると思った。
医者に行っても多分調べ上げた結果、原因不明、若しくはメニエル位と診断されて、
処方される薬も効かないと思われる。
そもそもこう言う症状は、自己免疫力の低下が原因だから、
十分な栄養と休息、そして、適度の運動などの適切な健康管理が何よりだ。
それでそれ以降は、十分な栄養補給とバイクのポタリングで過ごした。
と言っても、無性にインスタントラーメンが食べたくなったので、
インスタントラーメンだけの日も有ったが、それ以降は栄養バランスに努めた。


焼きそば

豚骨


ポタリング(5日後)


鮭トロ


(6日後)

アボガド

友人の帰国後

友人が帰国した翌日、頭のふらつきが戻らないままぼんやり過ごした。
前日は嘔吐もして、胃腸も重いまま、昼は豆腐煮、夜は鶏粥を食べた。
胃薬も飲んだが、効能などは調べる気力も無く、只前に近所の日本人が教えてくれて、
妻と市場に買いに行ったものだと言う事は、頭の中にぼんやり記憶して居た。
頭のふらつきは其の侭だったが、胃腸は時と共に回復して居る様な気はして居た。



そして、翌日は、ずっと寝て居るのも血圧に良く無いと思い、
団地のプールに浸かって居る方が、胃腸の為にも良いと思い出掛けた。
ずっと寝て居ると逆流性食道炎になる様な気もしたからだ。
その日も貸し切りだった。
プールに入るまでは独りぽっちなので何だか落ち着かなかったが、
暫くするとそんな気持ちも忘れて、プール周辺の環境の心地良さと貸し切り状態に、
まるで別世界の様な気分がして、これからは毎日でも来たいと思った。



その日の朝は親子丼。
昼は狐うどんを作って貰った。
ふらつきは治らなかったが、胃腸は回復して行く様な気がした。



その次の日もプールに出掛けたら、その日は何故か子供で満員だったので、慌てて引き返し、
以前、在住の友人がもう少し水温が低くて水が綺麗なプールが別の団地に有ると言って居たので行って見た。
門のガードマンに泳ぎに来たと言うと、「今年は閉鎖して居る。オープンして居るプールが別の団地に有る」と言う。
そこは家から一番近くて、昔行ったが少し貧弱なプールだ。
まあ40バーツ(約130円)だし、仕方が無いので行って見た。
行くと管理人が暇そうにテレビを見て居た。
水に浸かって見ると、底が見えない。
濁って居ると言う事だろう。
このプールは奥の方が深くなって居る。
2メートルとか2.5メートルとかの表示が有る。
まあ、縦25メートル位だから溺れ無いだろう。
奥まで泳いで、また戻って来た。
透明で無いので顔を浸ける気はしない。
まあ、誰も居ないので、横向けにあっち行ったりこっち行ったりして時間を潰した。
空がとても綺麗だ。
飛行機がほぼ真上を飛んで行った。



プールに出掛ける前に鶏粥の昼食を摂り、夜はおでんを喰った。
その日も何と言う事も無く一日が過ぎた。
ふらつきは直らないままだった。


友人の帰国

日本から友人が来て11日目。
いよいよ帰国の日となった。
朝9時10分チェンライ発の為、彼は7時半には家を出たいと言って居たので、
妻は早くから朝食の準備をして、料理が出来たと声を掛けられたが、
私はとても眠かったので起きられ無かった。
友人だけ食べたので、何の料理かも分からない。
何とか起きようと思ったのだが、只眠いだけでは無く、頭がふらついた。
多分睡眠不足のせいだろうとは思ったが、異常に頭がふらつく。
唯、空港までは近いので、何が何でも起きて、彼を送らなければと思い、
ふらつきながらも、起き上がって彼を空港まで送った。
妻も一緒に送った。
空港では意外に朝早くから混んで居て、
建物への入り口から列が出来て居た。
私は車から降りられ無かったが、妻が彼と共に荷物を車から出して、
車の中から彼を見送った。
頭はふらつきながらも、何とか運転は出来た。
空港までは車で10分ほど。
彼を見送った後は、寂しさも有りながら、肩の荷も下りたと言うほっとした気もして居た。
妻が空港近くのMAKRO(卸しスーパー)に寄りたいと言うので、
頭はフラフラするが、彼女もほっとして、気持ちを切り替えたい様だったので、
彼女の言うままMAKROに行った。
MAKROで買い物をして居ると、何だか私もいつもの生活に戻った様だった。


朝食の鶏粥


昼食は前日の残りの春雨


夕食は鮭の刺身と葱トロ

日本からの友人(其の10)

日本から友人が来て10日目。
朝食は何だかよ
く分からない野菜炒めと目玉焼き。
朝食後は、友人が土産用のドライフルーツを買いたいと言うので、
それならメーサイが安いと妻が言うので、
またまたメーサイに行った。
それなら5日前に買っとけば良かったのにと思ったが、後の祭り。
妻に逆らうとろくな事は無いので、大人しく従った。
メーサイは我が家から車で1時間以上掛かるが、
私も事前に友人の土産の事も考えて置く事をぬかって居た。
メーサイに着くと、友人はマンゴーのドライフルーツを大量に仕入れて、
大層喜んで居た。
翌日は帰国かと思うと、これが精一杯の私の労いなのだ。
彼が喜んでくれる事が、私にとっては一番の大切な事なのだ。
明日の朝は早いと言うので、準備万端、荷造りを終えて、彼は早めに寝た。
私は何故か中々寝付け無かった。


朝食


昼食のグリーンカレー


夕食の春雨サラダと魚フライ


妻の作った魚フライの方が、パヤオのレストランで食べたものより美味しいと言って居た。
是が最後の晩餐なのだなあと、彼は感慨深げだった。

日本からの友人(其の9)

日本から友人が来て9日目。
朝食は芽キャベツ炒めと豚肉炒めと茶碗蒸し。
朝食後は、昨年も行った隣県のパヤオの妻の友達の家に出掛けた。
友人がそこで食べた虫が旨いと言って居たからだ。
約100キロの道を1時間ほどで辿り着いた。
私は腰が痛いから妻が運転した。
妻は私より飛ばし屋だから、安全運転でお願いした。
着いたら早速虫の料理。
冷凍保存してあった。
後は辛い味噌と混ぜた生の豚肉料理。
そして、訳の分からない草。
私は食べられ無いから、焼き豚と刺身と餅米を食べた。
草も幾つかは食べられた。
食後の腹ごなしに、バイクでツーリングをした。
山の中に入って行くと、公園の看板が有り、
行き止まりになって居た。
友人は妻達と一緒に夕方まで飲んで居た。
6時から湖畔で露店が有ると言うので、皆で出掛けた。
少し歩いた後はレストランで食事。
夜もとっぷり暮れて、湖畔には涼しい海風も吹いて居た。