私の組合活動家としての人生はジャンケンから始まった。
在る地方の出先機関に奇しくも同期の2人が同時に異動で配属と成った。
小さい職場なので新人が組合役員を分担する様に言われた。
1人は其の職場の長で、もう1人は上部機関の組合役員をする事に。
ジャンケンで決めて、最初は私が勝ったので職場の分会長を。
もう1人は各職場から派遣された者で構成する支部役員に。
1年が過ぎて彼と交代した。
私は支部のスポーツ担当と成った。
元々スポーツをやって居たので、スポーツ担当はお手のものだった。
毎年、職場対抗でソフトボールやバレーボール、それに卓球やバドミントンなど、
日頃の運動不足も在って盛り上がった。
そして、京都府全体の支部対抗のスポーツ祭典も年1回在った。
そこで小さい支部ながら全員参加で全体の3位に躍り出た。
私は当然ながらバレーボールで参加し、他の人は他の種目で頑張った。
成績は兎も角、組織人員に対する参加率も得点に成った。
私は殆ど全員が参加する様促したので、参加点が大きくプラスされた。
それ以降異動するまで毎年3位をキープした。
それで私の支部役員としての人気も高まって行った。
そんな中で、革新統一の為の学者・文化人の集いにも事務局員として派遣され、
或る日、地元の共産党市議から入党を誘われた。
元々共産党アレルギーは無かったので、誘われるままに入党した。
それ以降、異動が在ってもほぼ其の先で支部役員と成り、
組合活動家としての経験を積んで行った。
そして、気が付けば、私の人生は組合活動一辺倒の日々と成って居た。
そして、選挙の時は共産党の選挙活動も熱心に行い、
退職後も戦力に成る私は足抜けが難しく成って居た。
だが、私はタイ移住を決めて居たので、何とか足抜けをさせて貰った。
移住後、偶々高市早苗の総裁選立候補記者会見を見て、
立派だったので、一躍フアンに成った。
実はそれまでに共産党の民主集中制に一定の疑問が在った。
私は派閥が在ってもいいのでは無いかと思って居た。
其れで無ければ、一個人の意見は党全体が相手に成るので、
とても太刀打ちは出来ない。
意見の同じ者同士は派閥を作るべきと考えて居た。
詳しい事は一言ではとても言えないので省略する。
それ以降、共産党の戦前の歴史や、ソ連指導のコミンテルンなども勉強した。
それで益々日本の共産党の欠点が目に付く様に成った。
唯、今と成っては、日本の為の運動に成って居たのかどうかを分析した所で、
この歳に成ってどうする事も出来ない。
私が励ました同志が今や国葬反対のデモをして居る。
私は過去の事は忘れる事にした。
どう転んでも取り返しは付かない。
忸怩たる思いで日本の様子を眺めるだけだ。
それもこれも全て私が選んだ人生。
私の胸の内に収めて置くしか無い。
日本から遠く離れた異国の地で、自分のお気に入りのYOUTUBEを上げた所で、
風呂の中で屁をこく様なものだ。
そんな私を癒してくれるのは妻しか居ない。
妻は私を全て包み込んでくれる。
昨日の夜食
今日の朝食
2022.10.11-1軍艦巻き
2022.10.11-2軍艦巻き
さて、今夜は軍艦巻き。
いつも美味しい料理をありがとう。
今日はこんなYOUTUBEを見て居た。
なぜ社会人こそ歴史の学び直しをすべきか?|石川真理子
覚悟を決めた高市早苗 日本を貶めた岸田さんと林さん / 林外相と外務省の愚行を文春がすっぱ抜いた‼【マンデーバスターズ】152 Vol.2 / 20221003