チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

人生の分かれ目(その2)

当初、詐欺の様な話で学校事務職員に配属されたが、
そこで5年辛抱した。
その後やっと異動が叶い、教育委員会の出先機関の教育局に変わった。
そこは向日市と長岡京市と大山崎町を管轄する機関で、
本庁の京都府教育委員会の出先機関に当たる。
京都府教育委員会は京都市を除く府内の市町村の教育委員会を管轄するが、
それらを7つの地域に分けて出先機関を置いて居る。
その内の1つの乙訓教育局に変わり、そこで5年過ごした。
そこは学校とは打って変わって伸び伸びした職場で、
嬉しくて仕方無かった。
本庁と市町村の教育委員会の間に挟まれてるとは言うものの、
市町村からは京都府教育委員会なので、その指導は絶対で在った。
唯、人数の少ない教育局なので、本庁1課の全てを取り次ぎ、
隣の人が産休の時は4課を担当した。
しかもその人はお産を2回もした。
その間バイトが1人雇われたが、私はそのバイトを使って4課の仕事をした。
だから書類が毎日山の様に積み上がった。
そんな中で、人数の少ない田舎の教育局なので、
組合役員もジャンケンで決めた。
古い先輩が、私ともう1人の新参者に「皆順番でやってるのだから」と、
その職場の分会長(代表)と、上部機関の執行委員のどちらかをと、
ジャンケンで決めて、1年後に交代した。
私は最初は分会長だったが、2年目に執行委員に成った。
上部機関と言うのは、その地域を管轄する土木事務所などの出先機関が集まり、
それぞれ1名づつ執行委員を選出して支部を作って居る。
保健所や地方振興局や流域下水道事務所や療育園などである。
そこでスポーツ担当に成った。
元々スポーツマンの私は得意の分野で、毎年野球や卓球やバドミントンなど、
職場対抗の試合を主催した。
勿論バレーボールも有った。
そして年1回、府庁全体のスポーツ大会も催され、
我が支部は小さいながらもいきなり総合3位の成績を収めた。
成績には組合員の参加率も加味されたから、
小さい支部には有利な得点制度も在った。
それが楽しかったので、毎年執行委員をやる様に成った。
その内活動が認められて、支部の書記次長をする事に成った。
その間、地域の教員組合との共闘もし、
教員組合の幹部とも親しく成った。
そんな中、学者・文化人・労働組合などで作る「日本の平和と民主主義を守る乙訓懇談会」
の事務局員を担当し、
大阪の黒田元知事を講師に招いた「金大中事件」の講演会なども在った。
活発な活動が認められて、全国的にも乙訓の名が知れ渡った。
或る日、事務局を一緒にやって居た長岡京市の共産党議員から入党を誘われた。
学生時に同じゼミの友人から勧められて民青に入って居たから抵抗感は無かった。
それが大きな間違い?
私の人生は大きく変わった。


今日はこれまで。


今日の朝食(大根下ろし納豆)


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



「【異例の厳重処分】日本共産党はなぜ松竹伸幸氏を除名したのか?」斎藤幸平と松竹伸幸が“共産党のアップデート”を提言

夫婦水入らず

いや、家族水入らずと言うのが普通なのかも知れないが、
我が家は夫婦水入らず。
連続して同じ様な話では代わり映えもしないので、
今日は昔話を止めて、今の話。
今までお手伝いさんを雇って居たが、
孫の子守の為に暇を取りたいと言う事で辞めてしまった。
辛うじて大きな屋敷に3人暮らしで淋しさに耐えて居たのだが、
2人暮らしと成ると一抹の不安が在った。
それから新しいお手伝いさんを雇ったのだが、半年位で辞めて貰った。
それが何時だったのかさえ、今はもう覚えて居ない。
それで2人に成るとさぞかし淋しいだろうなと思って居たのだが、
実際のところは予想に反して全く淋しく無かった。
タイに来た当初は私の母と妻の母と姉と姪との6人暮らしだった。
それがあれよあれよと言う間に少なく成ってしまった。
だから当初は広い屋敷でも丁度良かったのだ。
唯、部屋数は多い方が今でも案外都合が良い。
日本からの友人の寝る部屋が確保出来て居る。
このコロナでもう3年以上来て無いが、
もうぼちぼち来てくれるだろう。
それで、夫婦水入らずと言うと、何だか間が持たないとか言う話も聞くが、
私は全くそう成らない。
チェンマイのご夫婦では距離が近過ぎると窮屈だと聞いたが、
私は全く気に成らない。
寧ろ妻が別の部屋に行くと追い掛けて行く。
妻は迷惑かも。
妻がベランダに居ると、気を利かして傍に行く。
それも本当は迷惑かも。
だが妻は何も言わない。
寧ろ話し相手が欲しそうな気配もする。
妻が日本語が話せて本当に良かった。
何しろ吉本の娯楽番組で日本語を覚えた。
私が味付けが丁度いい加減だと言ったら「いい加減にしなさいっ!」と、
吉本ギャグで返って来る。
でも日本語を喋るのが面倒な時はタイ語で喋って来る。
そんな時も私は日本語で返す。
詰まりバイリンガル夫婦。
いや寧ろ国際結婚で良かったのかも知れない。
何時まで経っても新鮮。
と思ってるのは私だけ。


昨日の深夜食


今日の朝食(白身魚粥)


さて、今夜はホタテ。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【胃がん】93%が助かる !? 減塩よりまずは○○を絶対やって下さい!!

人生の分かれ目

人生の分かれ目って在るものだなと、この歳に成ってつくづく思う事が在る。
人生には幾つもの分かれ目が在った。
まず、最初の分かれ目。
いや、最初の分かれ目は余りハッキリしないとも言える。
高校生に成ってバレー部に入った事。
偶々入った。
それが後の人生に大きく関わったとは思えるが、
それは違う選択の経験が無いので実際のところ何とも言えない。
少なくとも中学生まではひ弱な生徒だったので、
その点では、多分人生が大きく変わった様な気がする。
全くのスポーツマンに成った。
そしてそれは多分良かったのだろう。
若しESSに入ったままだったら、別の意味で良い人生と成ったかも知れない。
今思い返せば、テニス位が適当で楽だったかも。
それなら心臓肥大に成る事も無く、余り凝り性に成らなかったかも。
いや、凝り性の性格は私の生まれ付きのものだったのかも。
唯、テニスをやって居る人を見て来た限りでは、
皆C調で適当な人が多かった。
その次の分かれ目は大学受験。
バレーを一生懸命やる羽目に成って、受験勉強が疎かに成った。
一浪で合格しなかった時、島津の義兄がレントゲン学校を勧めたので、
もう少しで行くところだった。
京大に進んだ従兄が絶対にダメだと母を説得して、二浪する事に成った。
結局、京大にも行けずに同志社に行く事に成った。
元々無理な話だった。
別に立命でも良かったのだが、同志社も受かったので同志社へ。
学生時代はC調に生きた。
次の分かれ目が大きかった。
京都府の上級試験に合格して、てっきり花形だと思って居たら、
何と高校の事務員だと。
詐欺だと思った。
詐欺だと言って辞めた人も居る。
合格後、障害児教育に興味は無いかと人事課から訊かれ、
そんな馬鹿なと思ったから、少なくとも普通科にしてくれと言った。
それが間違いだった。
当時の高校は蜷川民主府政と言いながら、
旧態依然として、まるで牢獄だった。
封建的な職場。
一方、教員は共産党が強く、私は事務員だったが教員とは話が合った。
何しろ私は上級だと言う意識が強かった。
競争率30倍の難関を突破して、同志社からは2人しか通らなかった。
それが大きな間違い。
盲学校で気楽に過ごせば良かった。
同期に盲学校の事務員に成った者が居た。
どうして私は障害児教育は嫌だと言ったのだろう。
そして縁談が有った。
音楽の教師で「君が代」を教えると言って居た。
こりゃダメだと思った。
今思えば私の左巻きが災いした。
その人と結婚して居れば今頃は…。
間違い無くタイには住んで居無い。


今日はこれまで。


先日買った納豆


今日の朝食(大根下ろし納豆)


3時のおやつ


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



日本人女性がタイの国境の山奥の密林で20年かけて山を開拓し手作りした村に訪れてみた

目に良い食べ物バナナ!?眼科医が毎日食べています!

物は考えよう

「物は考えよう」と言うと、「さあ、考えましょう」と言う意味にも取れるので、
日本語は中々難しいが、
私が言いたいのは「見方に依っては違う考え方が出来る」と言う意味。
歳と共に一面的な見方に成り易いのかも知れないが、
最近、どうも柔軟な思考が欠け勝ちに成ってるのかも知れない。
それでストレスが溜まるのだが、
若い頃は禅宗の本を読んだりして、
ああでも無い、こうでも無いと悩んだりした。
今は若しかしたらそう言う思考が欠けて居るのかも知れない。
唯、中々そう言う風にも考えられない。
人生、間も無く終着駅を迎えようとして、
もう人生の何たるかが全て分かった様な気がして居るからである。
だから一々悩む前に速断してしまう。
詰まり、「気が短い」とも言う。
焦りが在るのか、ゆとりが無い。
いや、もうお迎えが来ようとしているのに、余裕が有るハズが無い。
だから速断的に成るのは無理も無いのだが、
それで却って損をして居る。
人生いつまでも余裕を持って生きたいものだ。
偶には道元禅でも読みたいものだが、
最近は諸事に追われて余裕が無い。
この歳に成って、まだやりたい事が沢山有るからだ。
詰まり、我欲に囚われて居る。
「だって、人間そんなものですよね」と自分に弁解して居る。
ところで、考えように依っても、どうしようも無いものも在る。
例えば私の帯状疱疹後神経痛。
これが考えように依って、何でも無いもので在ったり、
有難いもので在ったりする訳が
無い。
痛いものは痛い。
痺れるものは痺れる。
これが「心頭滅却すれば火もまた涼し」何て事に成れば、
それはそれは嬉しいところだが…。
恐らくそれは無理な話。
唯、もっと不幸な人が居るだとか、
まだましな方だとか考えるのは、ちょっと違う様な気もする。
でもそう考えて置くのが手っ取り早い。
もう難しい話はご免だ。
いや、それどころか、私はすこぶる恵まれて居る。
そう考えて置く事にしよう。
決してバチは当たらない。
誰に迷惑も掛からない。


これでいいのだろうか。
取り敢えず、これで今日のオチは着いた。


昨日の深夜食


今日の朝食(大根下ろし納豆)


今日の昼食(水餃子


さて、今夜は天ぷら素麵。
やっぱりすこぶる恵まれて居る方だろう。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【参政党】マスコミ殺到❗️よしりんが大阪府知事選に挑戦❗️〜 「改革」は本当に正しかったのか? 〜

困った時の古アルバム

今日は久し振りに旧知の方を訪ねて来た。
以前よく通った日本人が経営して居るタイの居酒屋で知り合った。
行くといつも店の前で店主と呑まれて居た。
その後お付き合いを始めて、付き合う様に成った。
唯、その後の環境の変化も有り、暫く遠ざかって居たのだが、
久し振りに会いたく成った。
すると私もよく知って居るタイのオカマちゃんが日本に行くらしい。
それで行くまでに会いたいと言って置いた。
多分連絡は有るだろう。
もう何年も会って居ない。
前はよくディスコに行った。
ディスコで若いボーイが勘定を誤魔化すので、
そのオカマちゃんが叱責した事を今でもよく覚えて居る。
流石だと思った。
そんな思い出も今は昔。
私は脚も悪く成って、今やディスコどころでは無い。
そんな事を考えて居ると、今日の写真が無い事を思い出した。
困った時の古アルバム。
これも懐かしい昔の一コマ。
こんな時も在ったのだ。



今日の朝食(大根下ろし納豆)


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【『安倍晋三回顧録』】「小池都知事はジョーカー」「習近平主席『米国人なら共産党には…』」安倍元首相が語った生々しい本音【深層NEWS】