チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

日本の思い出(バンコク)

日本に帰国する時は、バンコクで飛行機を乗り継ぐが、
便の関係で、バンコクで一泊することがしばしばあった。
そんな時、母は高速道路が見渡せる部屋が好きだったので、
高速道路に近い高層ホテルに泊まって、
ベランダからの車の行きかいを眺めては、母は旅を楽しんでいた。
そして、私も高層ビルからの眺めは大好きだった。


日本の思い出で「バンコク」と言うのも変な話だが、
私にとっては、バンコクでの宿泊は、帰国時の旅の思い出であり、
日本の思い出とも繋がっている。


母が臥せってからは帰国せず、
そして、母が他界してからも、もう久しく帰国して無いので、
バンコクのホテルに泊まら無くなったが、
機会があれば、またそのホテルからの眺めを、眺めてみたいものだ。


日本の思い出(結婚前の転居先探し)

結婚する10年ほど前、母と二人で転居先を探した事が有る。
隣家の社長が、私達に断りも無く、我が家の土地を地主から買い、
挙句の果てに「出て行け」とまで言う様になった。
嫌気が差した母は、転居先を探した。
私も気持ちが悪いので、母と一緒に探した。


比叡山脈の内、滋賀県に越える峠で団地になって居る所が在る。
比叡平と言うが、そこにダイワハウスの中古物件が有り、
私も悪くは無いと思ったし
、母も乗り気だったのだが、
決断出来ず、他を探す事になった。
その次は、京都市の隣の向日市の山沿いに在る高級団地で、物色した。
結局、決断出来ず、他を当たる事になった。
その次は、住んで居る所からほど近い、深泥ヶ池の近くの物件を気に入ったのだが、
結局、決断出来ず、転居自体もうやむやになってしまった。
やはり、今住んで居る所が捨て難かったのだろう。
その他にも数箇所探した様な気がするが、もう思い出せない。


今から思うと、よくぞ思い留まった事だ。
母は謡曲をして居たが、結婚を機に転居した同じ下鴨地域の新しい家は、
バス停も近くて、嬉々としてお稽古に出掛けて居たが、
これが比叡山の峠などだったら、とんでもない事だ。
向日市でもそうだ。
観世流の能舞台の有る観世会館でお披露目をする時などは、
朝から弁当や粗品の手配で大わらわなのだ。
同じ左京区の下鴨の新居からでも、自分の身支度だけで精一杯だった。
私がお気に入りの仕出し屋に取りに行き、会場まで運んだのだ。


でも、今になって、そんな転居先探しも、懐かしい思い出となって居る。
そして、今、私は此処に居る。
人生、何処でどう変わるかは分からないものだ。
人生に翻弄され、生き続けて行くしか無いのだ。
オーストラリアにお住まいの「かれん」さん。
貴方もそうなんですね。


頑張りましょう。


日本の思い出(御所)

御所の思い出は色々あるが、学生時代、同志社の一回生の時、
サッカー同好会に入っていたが、その時の練習場所が御所の芝生だった。
見回りのパトカーが来たら隠れて、去ったらまた練習をした。
多分グランド使用料の節約だったと思う。
京都府庁に勤務の時は、近隣の者は府庁に駐車出来無いので、御所の駐車場を借りていた。

一回500円なので、雨の時だけだったと思う。
家が近い割には普段余り来なかった。
家の近くには鴨川や糺の森などもあり、

御所は余りにも身近で興味が沸かなかったのだと思うが、
歳と共に緑の多い良い場所だと思うようになった。
大して利用する来賓もいないのに、自然の森を壊して作る京都迎賓館建設の反対運動にも加わった。
兎に角余りにも身近で普段はその存在感を余り感じ無かったが、
改めて思うと、京都の中心に在り、
それ無くしては京都らしさが失われてしまうくらいのものだと言うことに、
今頃になって気付くのだった。
                                
※下の写真は2012年5月帰国時、学友と会った時のものです。

同志社大学今出川学舎

日本の思い出(祇園)

京都・祇園の思い出と言うのは、幾つもあるが、
やはり、忘年会や歓送迎会などの宴会を祇園で行った、夜の祇園の思い出が多いように思う。
年に一度は必ずと言っていいほど祇園で行われたので、年の数だけ思い出があるはずだが、
余りにも多いので、一つひとつについては、それほどはっきり覚えていない。
幹事さんも毎回違う場所を探すのが、大変だったろう。
自分が幹事だった時も趣向を凝らして、皆が余り行って無い所を探した。
唯、酔いが回れば何処でやろうが、何を食べようが、同じようなものだとは思ったのだが…。
そこでいつも思ったのは、食べ残しが随分多い。
いつも食べ切れ無いほどの料理が出たことだ。
そんな時はいつもアフリカの貧しい子供達のことが浮かんだ。
日本は飽食の国だ。
これはいけないと思いながらも、自分が幹事の時でさえ、思い切り注文してしまう。


そして、タイに来て、いつも思うのが、タイ人は料理の食べ残しが非常に多い。
食物が豊富なのは分かっているが、だからと言って、そんなに捨てて良いのだろうか。
勿論、日本の料理ほど高く無く、そこら辺の雑草のような野菜だから、
金銭的には余り気にすることも無いのかも知れないのだが…。
私は性格上、妻の作った料理も、皿をもう洗わ無くても良いくらい綺麗に食べる。


日本の宴会時にはいつもそんなことを思っていたことを、今、思い出した。


日本の思い出(下鴨)

日本では京都の下鴨に住んでいた。
40年を過ごした昔の家から、結婚を機に同じ下鴨地域内で新しい家に引っ越して、10年を過ごした。
前の家は風呂もガレージも無い小さい家ながらも、4人兄弟と祖母も居たので、昔は7人家族だった。
車は近くの寺の境内に預け、風呂は近くの銭湯に通った。
新しい家は風呂もガレージも有る大きな家で、妻と母と3人で暮らした。
近くには、植物園と資料館が在り、どちらにも勤務した。
思えば大学も府庁も近い所に在り、人生の多くを近場で過ごしたことになる。
大変恵まれていたことを誰かに感謝しなければならないだろう。
そして新しい家は、大きな交差点にも近く、スーパーや銀行も在り、とても便利な所に引っ越して良かったと思っていたのだが…。


退職して、車の音が段々気になり出した。
もう少し静かな所がいいなと言う思いが、田舎志向、タイ志向へと向かわせたのではないかと思っている。

もう少し静かな家だったら、若しかしたらタイへのロングステイは無かったかも知れない。
退職してからは、毎日近所を散歩するようになった。
とても心地良かった。

それがタイに来ても同じように、楽しみの一つにもなっている。