日本の思い出(結婚前の転居先探し)
結婚する10年ほど前、母と二人で転居先を探した事が有る。
隣家の社長が、私達に断りも無く、我が家の土地を地主から買い、
挙句の果てに「出て行け」とまで言う様になった。
嫌気が差した母は、転居先を探した。
私も気持ちが悪いので、母と一緒に探した。
比叡山脈の内、滋賀県に越える峠で団地になって居る所が在る。
比叡平と言うが、そこにダイワハウスの中古物件が有り、
私も悪くは無いと思ったし、母も乗り気だったのだが、
決断出来ず、他を探す事になった。
その次は、京都市の隣の向日市の山沿いに在る高級団地で、物色した。
結局、決断出来ず、他を当たる事になった。
その次は、住んで居る所からほど近い、深泥ヶ池の近くの物件を気に入ったのだが、
結局、決断出来ず、転居自体もうやむやになってしまった。
やはり、今住んで居る所が捨て難かったのだろう。
その他にも数箇所探した様な気がするが、もう思い出せない。
今から思うと、よくぞ思い留まった事だ。
母は謡曲をして居たが、結婚を機に転居した同じ下鴨地域の新しい家は、
バス停も近くて、嬉々としてお稽古に出掛けて居たが、
これが比叡山の峠などだったら、とんでもない事だ。
向日市でもそうだ。
観世流の能舞台の有る観世会館でお披露目をする時などは、
朝から弁当や粗品の手配で大わらわなのだ。
同じ左京区の下鴨の新居からでも、自分の身支度だけで精一杯だった。
私がお気に入りの仕出し屋に取りに行き、会場まで運んだのだ。
でも、今になって、そんな転居先探しも、懐かしい思い出となって居る。
そして、今、私は此処に居る。
人生、何処でどう変わるかは分からないものだ。
人生に翻弄され、生き続けて行くしか無いのだ。
オーストラリアにお住まいの「かれん」さん。
貴方もそうなんですね。
頑張りましょう。