チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

季節考


遂にベランダの温度計が18度に成った。
日本で18度だったら何とも思わなかったかも知れないが、
タイに住んで居ると18度はメチャ寒い。
日本では10度以下に成ると暖房を入れたが、
タイでは20度以下に成ると暖房を入れたく成るが、暖房器具が無い。
以前、中国製の電気ストーブを買ったが直ぐ壊れた。
石油ストーブが欲しいが、売って無い。
誰か持ってる様な事を言って居たが、譲って欲しいものだ。
しかし、或る部屋だけ入れても他の部屋が無ければ移動出来ない。
田舎では焚き火をするが、離れれば寒いがそれでも良いのだろうか。
詰まり風呂に入って一時的に温まる様なものだろう。
却って風邪を引くのでは?
兎に角、冬は嫌だ。
しかし日本よりは
ましだと思って我慢して居る。
夏は暑くて嫌だと思って居たが、冬も嫌。
年寄りには堪える。
いや、皆嫌か。
タイ人は雪景色がとても好きな様だが、一度経験して見るといい。
もうゴメンだと成るハズだ。
私の住んで居た京都は冬は底冷え、夏は蒸し暑かった。
今から思うとよくそんな所に住んで居たものだ。
その点タイは天国。
春と秋も長い。
日本では一瞬だった。
でも冬に成るとタイのメリットが薄れる気が…。
あゝ、夏が恋しい。
人間とは勝手なものだ。
あのグッタリ暑い夏まで暫くの辛抱だ。


ところで、タイの四季はハッキリしないが、
冬の季節だけは其の到来がハッキリして居る。
夏は暑いから間違いなく意識出来るが、
その到来は余りハッキリして無い様に思う。
何時の間にかダラダラと暑く成って居る。
でも冬の到来だけはハッキリ認識出来る。
あゝ、今年も冬が来たのだなと。
もう一つハッキリ認識出来る季節が在る。
雨季の到来だ。
雨がザーッと降る様に成ると自覚する。
唯、雨季明けはハッキリしない。
何時の間にか降らなく成って居る。
だからタイに居ても冬と雨季が来た時だけは季節の移り変わりを認識出来る。
そして、季節の移り目には日本を思い出す。


昨日の深夜食(ドラゴンフルーツ)


今日の朝食(雑炊)


お節の準備(椎茸)


4時頃に成ると何故か無性に腹が減ったのでカレーライスを食べた。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



質問に答える/浜崎洋介さんに聞く04

冬の気配


昨日の餅つき大会も終わり、今日は一段と冬の気配と成った。
妻は朝から暖かい雑炊を作ってくれた。
庭も風が吹いて冬景色。



今日は人と会ったり、ウロウロしたら妙に腹が減った。
家に帰ると妻が昨日貰った餅を揚げて蜂蜜を塗って食べて居た。
一つ摘まむと旨かったが、醤油味の方が旨いだろうと思って、
昼食代わりのおやつに頼んだ。
ビールでも呑みたく成ったが、缶酎ハイが有った事を思い出した。
どの缶酎ハイが旨いか迷ったが、結局、グレープフルーツ味にした。
呑み終えた頃には少しほろ酔い。



其のまま寝込んで、目が開くと夕方に成って居た。
妻が「写真!写真!」と言うのでキッチンに行くと、お節のごまめの良い匂い。
市場の小魚は小さいのでMAKROスーパーで買ったと。



今日は露天風呂も5時に入ると寒かった。
この間タイ語の勉強が滞って居るので少し復習。
頭を使うと少し腹も減って来た。
やはり風呂より学習の方がエネルギーを使う様だ。
今日は炭水化物が多いので、夜はピザの予定を朝食メニューに変更。



これで野菜が増えてバランスが取れる。
妻がピザの材料を折角買ったのに、気侭な生活だ。
ブログを書き終えて、まだ余力が有れば、もう少しタイ語の学習をしても良い。
いつも美味しい料理をありがとう。


今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



肉体喪失の敗戦後日本と三島由紀夫/浜崎洋介さんに聞く05

日本人会の餅つき大会

今日は日本人会の餅つき大会。



教育資金援助財団アブ・アリアの子供達に依るコーラス。



2022.12.17-1餅つき大会



バザーの売上金の一部は財団へ。



昨日の深夜食(ドラゴンフルーツ)


今日に限って早く腹が減ったので朝はサンドイッチ。



夜は餅つき大会に出た弁当。


散髪を美容院で

明日は餅つき大会なので、妻が散髪に行って来いと言った。
しかも近所にいっぱい出来てるので近所に行けと。
そう言えば最近あちこちに散髪の三色ポールが在る。
近所をバイクでフラフラと探したが、以前見掛けた所に無い。
するとパーマ屋らしき所に三色ポールが…。



唯、ドアノブに白い紙が掛けて在る様に見えるので、
しげしげと見て居ると、女の人が「何ですか」と言うので、
「散髪!」と言ったが通じない。
何遍も言ったが通じないので「切る、髪」と、散と髪の間を空けて言った。
すると「散髪か!」と。
母音がおかしかったのか、子音がおかしかったのか分からないが、
こんな簡単な単語が通じ無いとは、と自信を失くした。
そして「此処は散髪はしない。あの車の向こう」と言うので行ったが見当たらない。
あっちこっちをキョロキョロしたら、向かいに美容院が在った。
美容院は高いと思ったが、他に散髪屋を探すのも面倒に成った。
仕方が無いので、ドアを開けて「散髪」と言ったら、奥で女の人が頷いた。
此の店は昔、家の団地を出て直ぐの所に在ったが、
家賃が高いので少し遠くに移転した店だ。
客が少ないのか、椅子はボロボロだった。
そして、妻が出掛けに「ハンサムにしてくれと言って来い」と言ったが、
ちょっと気恥ずかしいので「妻がハンサムに成れと言うので来た」と言い換えた。
ついでに「年寄りはハンサムには成れない」と言おうかと思ったが、
辞めて置いた。
タイに来た当初は散髪屋の看板が余り無かったので、
散髪はタイでは美容院でするのかと思って、いつも此の女の人の店でやって居た。
移転してから一度だけ染髪か何かをして貰った事が在る。
暫くすると尻が痛く成って来た。
やはり散髪屋のリクライニング椅子は専用なので痛く無いのだ。
何とか我慢して、姿勢を直すと、「長いと痛いですネ」と。
150バーツ(≒570円)だった。
散髪屋は80バーツ(≒304円)なので倍近かった。
帰り際に写真を撮らせて貰った。
と言うか、「写真」と言って、勝手に撮った。
別に拒む様でも無かった。
若しかしたら、寂れた店内で恥ずかしかったかも知れない。
ドアを開けながら、店の前に置いて在る風防付きのバイクを見て、
「重いバイクですネ」と、お上手とも分からないお世辞の様な言葉を言った。
私はニコリと笑うだけだった。
彼女とのこんな会話はもう何年振りだろう。



家に帰って妻にハンサムかと訊くと、「まあまあだ」と。
唯、白い物が目立つので、横だけ黒く塗って貰った。


昨日の深夜食(ドラゴンフルーツ)


今日の朝食(例に依って巻き寿司)


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



中・朝・露3正面作戦に直面する日本/用田陸将に聞く04

あゝ、人生とは

人生で一番充実して居た年齢は高校の3年間。
その次に大学の4年間。
中学の時は全然だった。
体育会系のクラブに入って置けば良かった。
新聞部に入ってしまった。
高校の3年間はバレー部で辛い日々だったが、
今から思えば最も充実して居た。
若し生まれ変わったら、今度は軽音楽部にでも入りたいが…。
それと、後のミス同志社と成った子が居たESSを辞めなければ良かった。
大学時代の4年間は同好会だったから全然厳しく無かったが、
模擬店などは楽しかった。
正に青春を謳歌して居た。
浪人時代は灰色だと思って居たが、今から思えばそれ程でも。
勤めてからはストレスも多く、朝も辛かったが、
今から思えば其の若さを取り戻したい。
年金生活の今はストレスフリーで、やりたい事もし放題だが、
もう一度人生をやり直せればといつも思って居る。
でも、妻が居るので幸せ。
妻との遭遇は大海の中に針を見付けた様なもの。
あゝ、人生とは。


今日の朝食(例に依って巻き寿司)


さて、今夜は豚足&野菜炒め。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



神社はなぜ爆破されたのか?/榊正志さんに聞く03