チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

パヤオの友人が池清掃

昨夜は妻の友人が家族と共に隣県のパヤオからやって来た。
チェンライの他の友人達も呼んで、夜はどんちゃん騒ぎ。
妻も羽目を外して盛り上がって居た。


パヤオの友人一家は我が家に泊まって、今日やってくれた事は、
池の清掃。
水の汲み上げポンプをわざわざパヤオから持って来て、
朝食後、早速開始。
長年底に積もった泥を掻き出し、魚も全部捕まえての重労働だ。


遠くで見て居たら、写真を撮ってくれと、実に気さくな旦那。
いつもアキオ、アキオと親しげに話し掛けて来る。


私はそれ程タイ語が堪能で無いので、返答に困る。
だからなるべく近づかない様にして居るのだが、
顔を見れば直ぐ手招きをする。


昨日は妻もハイになって居て、私にタイの歌を歌えと言う。
私はちゃんと覚えて無いので、最初の一節だけ歌って、後はごまかす。


妻はパヤオの友人が一番大切な友人だと言って居る。


以前はこぶみかんを20キロ届けてくれて、
1年以上経ったが、未だ残って居る。
絞ってアイストレーで冷凍して、ウイスキーに入れるのだ。
この調子だと2年分有るかも知れない。


今日は幸い曇り空で、暑くは無いが、未だ作業は続いて居る。
私は老体なので手伝う事は出来無い。



筍とマンゴーも持って来てくれた。


追加

昨日も今日もポタリング

昨日も今日もバイクでポタリングをした。

昨日の雲


今日の雲


今日の朝食 酢豚


今日の昼食 天ぷらと素麺

最近の食事事情

最近の私の食事事情が奇妙な事になって居る。
朝食べると中々腹が減らないので、昼食が4時5時になって居るのだ。
そうすると、夕食を食べ無い事が多い。


今迄昼食はインスタントラーメンに嵌って居て、
中毒の様に止められ無かったのだが、
そんな物で腹を膨らますのは馬鹿らしいと思って、

最近は天ぷら&素麺と、グリーンカレーを交互に食べて居る。


そうすると夜になっても中々腹が減らない。
昼飯のおかずと夕飯のおかずを逆にするのにはとても抵抗が有る。
そうすると益々夜になっても腹が減らないと思うからだ。


だから、今迄の夕飯のメニューが全く消化されない状態になる。
ずっと冷凍庫に眠ったままとなる。
これを打ち破るのは如何にするか。


やっぱり昼飯のおかずと夕飯のおかずを逆にして、
夜食べ無いのがベストだろう。
いやいや本当はもっとバラエティーに富んだ食事をしたいのだ。


1回当たりの食べる量を減らせばいいのだが、
もう既に冷凍庫にタッパーで保管済みになって居て、
電子レンジで温めるので、1回当たりの量が動かせ無い。


斯くなる上は、素麺とカレーに入れる麺を半分にするしかない。
これで幾らかは量が減るはずだ。


なんて呑気な事が、さも重大事件の様に問題になる平和な日々が続いて居る。
一方では、サッカーの日本代表が、また負けたと言う事にがっくり来て居る、
これ又たわいも無い話に、一喜一憂して居る日々も続いて居る。


昨日の朝食 蛤の吸い物ぶっ掛けご飯と茶碗蒸し


昨日の昼食 グリーンカレー


一昨日の朝食 鮭と雑煮


一昨日の昼食 天ぷらと素麺

仔犬のアルバム

仔犬たち庭へ!


SF映画鑑賞

未来社会のSF映画を見た。
人間は何らかのシステムで守られ、ロボットの様に喜怒哀楽の感情も無く、
只ボタンを押せば好みの食事が出て来て食べると言う毎日を繰り返し、
感情を抱いた者は病人と見なされ、何れ施設に送られ抹殺される。


そこで感情に目覚めた男女が恋愛感情を持ち、彼らと同様の仲間達の助けで、
別の世界への逃避行をしようとするが、
行き違いから、男性は感情喪失の治療を受けてしまう。


それでも約束通り逃避行を続けるところで幕となる。


何とも悲しい様な、或いは希望が持てる様な終わり方だが、
ふと自分の生活と重なり合わせて感じるものがあった。


私は毎日何の問題も無く、まるで温室に居る様に保護されて、
無為に生きて居るのではないかと。


勿論、喜怒哀楽は有るのだが、只万全と過ごしてはいないかと。
もっと情熱とかパッションとか、昔持って居た大志とか大義とか、
若い時に持って居た熱情とか希望とか。
歳と共にそう言う感情が薄れ、平々凡々とした生活が楽だし、疲れないし、
事無かれ主義になって居るのではないか。


今更若い時の様な熱情を抱く事は疲れるので、そう言う勇気も無くなって居る。


もっと青臭く生きてもいいのではないかと思った。
危険を犯してもいいのではないか。
有機物から無機物に返る前に、生きたと言う実感を持って死にたい。


この映画を見て、そう言う気持ちを呼び覚まされた。
映画の題名はロスト・エモーション。