チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

人生の分岐点

人生の分岐点と言うにはいささか王仰な表現かも知れないが、
あの時、あの家を買って居たらと思う事が有る。
結婚して暫くは近所のアパートに住んで居たのだが、
実家に戻って母の食事を見たら、実に貧相な食事をして居た。
今まで私の為に一生懸命作って居たが、そのハリが無くなったのだ。
これは遺憾と思って同居する事にし、
その為に二世帯住宅を探した。
色んな物件を探した挙句、
ちょっと奥まった静かな家が見つかった。
手付も打ち、これでやっと落ち着いたと思ったのだが、
暫くして何故かその家が気に入らなくなって来た。
もう契約書も交わし手付も打ったので後戻りは出来ないと悶々と悩んで居たのだが、
職場の先輩に不動産に詳しそうな人が居て、思い切って相談して見た。
そしたら、「全然構わないですよ。」「僕が話を付けて上げます」と。
そして、手付も簡単に返して貰い、
また振り出しに戻った。
今から思うと、その人が不動産に詳しそうと思って居たが、
何の根拠も無かった様な気がする。
彼は違う係だが、何でも相談出来る雰囲気の人で、
先輩なのに私に敬語を使う。
只単に何でもよく知って居ると言うだけで、
不動産にも詳しいと勝手に思って居た様な気もするのだ。
よくよく私も依頼心が強い人間だと言う事だ。
若し彼に相談しなかったら、今頃あの家に住んでる事だろう。
それで、結局、便利な場所の新築の家に住む事になった。
買わなかった家は中古住宅だった。
そして、その便利な家は大通りに近くて喧しかったので、
退職後、タイの田舎に住みたいと思う様になった。
若し、奥まった家ならそうは思わなかっただろう。
そして、今も手放して無いかも知れない。
ボロ家なら兎も角、10年住んだとは言え、まだ殆ど傷みの無い新築同様の家を、
半年間住まずに置いておくのは、心の負担が大きかったので、家は処分してしまった。
家を処分してからは、帰国時はマンスリーに住む様になったが、
そんな時は、日本に居る事が不思議に思えて来た。
若し自分の家ならそう言う感情は沸かなかっただろう。
唯、足が悪くなった今となっては、
もう日本に戻る元気も無いので、
やっぱり手放して良かったのかも…。
やっぱり便利な新築の家を買って良かったのかも…。