在りし日の義姉を偲ぶ
私は歳と共に、あの時こうして居れば良かったとしきりに思う様になった。
妻も多少はそう言う事も思うのだろう。
義姉は持病持ちで、バンコクのあっちこっちの病院に薬を貰いに行かねばならなかった。
それがネックで、妻が一緒に暮らそうと度々誘ったのだが、結局来なかった。
義姉の旦那はベンツを2台も持って居る大金持ちで、
重機を何十台も持って居る土建屋だった。
一度ベンツに乗せて貰った事が有る。
ベンツの乗り心地の良さを初めて知った。
家を訪れた時、社長である旦那は、携帯を切った途端にまた呼び出しが鳴って、
途切れる事が無かった。
社長とは如何に忙しいものかとビックリした。
中華系の人で、中華料理に連れて行って貰ったが、
そこは金持ちばかりが来る所だった。
彼は脳溢血で倒れ、その後長い間、集中治療室に入ったまま植物人間として過ごし、
何年経っても意識は二度と戻らなかった。
治療費で重機は全部売ったらしい。
亡くなってもう何年にもなるが、
子供が居なかったので、義姉はずっと独り暮らしだった。
不摂生が祟り、幾つもの持病持ちになった。
入院してから、チェンライに帰りたいと訴えたそうだ。
妻は「今更遅い。入院してからでは動けない。」と、
動ける内に何度も誘ったのに来なかった事を悔しがった。
強引に連れて来たらと後悔してるだろう。
一度はこちらに来て、ベッドも買ったのに…。
1カ月もしない内に、薬を貰う為バンコクに帰り、二度と来る事は無かった。
病院を変えて薬を貰う手続きが面倒だったらしい。
1箇所だけでは無かったのだ。
妻がバンコクに行く前に、「不摂生したのだから仕方が無い。」
これしか慰める言葉が無かった。