チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

イスラム教の信心について

妻が居ないので、今日はお手伝いさんとMAKROスーパーまで買い物に出掛けた。
買い物も一段落した頃、「人参は家に残ってるか?」と聞いたら、まだ有ると。
どれ位有るかと聞くと、1本だと。
それなら1本食べたら、また遠い此処まで来なくちゃならないじゃないか。
それじゃあ買って下さいと言うと、7-8本も買って来た。
「多過ぎるでしょ」
「いや、日持ちしますから」と。
さっきの言いぐさとは支離滅裂だ。
次に、ほんだしが残り少ないと聞いて居たので、
「ほんだしは?」と言うと、
「忘れてた」と。


私は昨夜の怒りがまだ収まって無かった。
昨夜の怒りと言うと、実は、
ビルマ人のお手伝いさんはイスラム教徒だが、
最近、イスラム式の礼拝をする様になった。
例のイスラム式の、頭からすっぽり被る白い衣装で、
何度も頭を床に付けたり、立ったりを繰り返す。
まあ、それはいいのだが、
昨夜はとうとう「夜中の4時に食事をして昼間は食事を摂ら無い」と言い出した。
信教の自由は尊重しなければと思い、私も暫く考えたが、
やっぱり我慢出来なくなって、思い切って言った。
『キリスト教は男より女を若干低く見て居る。
仏教はもう少し差別が強い。
イスラム教はもっとだ』と。
『何故なら、キリスト教では、神は最初に男を創り、
その後、男のあばら骨から女を創った。
だからどちらかと言うと、女性を低く見て居る』と。
そして、『仏教では、女性は不浄なものとされて居る。
女はお坊さんに触れてはいけないが、男は構わない。
だからキリスト教より差別が強い。
イスラム教では、妻を3人まで持つ事を許されて居る。
だから仏教よりもっと差別が酷い』と。
『3つの宗教は皆間違って居る。
何故そんな嘘をつくのかと言うと、
それは創始者が3人とも男だからだ。
でも、宗教を信じるのは構わない。
皆誰でも神を信じたくなるからだ。
でも、ほどほどにしないのは馬鹿だ。
賢い人は神の力を頼らない。』
そう言って、振り上げた金づちの下ろし先に少々困ったが、
そこにベッドの上にヤモリが現れたので、お手伝いさんに助力を頼み、
それ以降は和やかな空気になった。


お手伝いさんは優しい人だが、
馬鹿な人には私は我慢出来なくなる時がある。
愚かな信心を見て居るのが辛いのだ。
私も仏陀の言葉は好きだが、どの宗教も男尊女卑と言う時代の制約が有る。
現に創始者が3人とも男だと言う事がそれを端的に物語って居る。
余談だが、アメリカのレディーファーストも突き詰めると、海賊思想の名残で、
未だにそれが続いて居るとしたら、それは社会の矛盾を表して居る。
母系制社会から父権制社会になった今も、世界的に男尊女卑は続いて居る。


話は逸れたが、お手伝いさんに思い切って言おうと思った時、
解雇の事も一瞬頭をよぎった。
もう7年にもなろうとして居るお手伝いさんは、家族同然だ。
しかも母を最期までよく面倒を見てくれた恩もある。
たとえ食事を4時に摂って、昼間の仕事に差し支えが有っても、
実際に解雇する気は無い。
でも、今後どうなるのだろうか。


ところで昨日の深夜4時頃、食事をしたのかは分からない。
今夜の9時頃には食事をして居る音が聞こえた。
私の諫言を聞いて、思い直したのだろうか。