チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

タイの過ごし方(其の16)

タイに慣れて来ると、最初の感動や驚きが薄れて来る反面、
自由で気儘な生活を楽しむようになって来る。
日本の常識が通じない事も分かって来る。
日本では有り得ない習慣や所作に戸惑いながらも、
自分なりに解釈して、真似ようとも試みるようになる。
そこで誤解し易いのが、一見非常識に見える所作や習慣を見て、
タイは何をやってもいい国だ。
日本では有り得ないが、タイは何でも有りだと勘違いしてしまう事が有る。
勿論、教育水準の低さから、日本人の目からすれば愚かな事も有るが、
だからと言って何でも同調してしまっては、そこに大きな落とし穴が有る。
そこにはタイ人なりの節度や理由が有るのである。
外人にして見れば、旅の恥は掻き捨てと言う側面も有る。
地に足着けて生きて行こうとするなら、ある程度節度もわきまえるようになるだろうが、
そうでなければタイ人は中々外人を批判するような事はしない。
「外人は何も知らない」と腹の中で思って居る。
そこら辺にゴミを捨てる外人に、親しげなタイ人が注意して居る様子を見た事が有る。
タイ人でもよくする行為なので、寧ろ珍しい光景でも在った。
何も知らない外人は、タイ人なら滅多に捨てない場所でも平気で捨てる事も有る。
そんな時タイ人は「外人は何も知らない」と心の中で思って居る。
みすぼらしい外人を近年よく見掛ける。
粗末な服を着て遠い距離を歩いて居るように見える。
車は兎も角、バイクさえ持て無い経済状態なんだろう。
バックパッカーの可能性も有るが…。
近年チェンライで日本人のバックパッカーは余り見掛け無い。
外人はそんなに貧乏なんだろうか。
いや実際、貧乏な外人が暮らし易いタイに流れ込んで居るような気もする。
そして、そう言う外人は非常識な振る舞いをするだろうか。
いや、私は寧ろ、経済大国と言う意識を未だに持って居る日本人の方が、
金さえ出せば何でも有り。
金をタイに落としてやって居ると言う意識が有りはしないだろうか。
自戒を込めて日本人に呼び掛けたい。