チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

二つの旅立ち

私と同年生まれの在住の方のお焼香に伺った。
お坊さんが5人経を唱えられて居たので、
納骨の儀(葬儀は寺で終わってるので、恐らく納骨の儀だと思われる)に参加した。
奥様は日本に長く居られたので、日本語も達者だが、
「これからどうしよう」と嘆いて居られた。
私は「日本語が達者だから、金持ちの日本人を捕まえて下さい」などと、
今から思えば実にくだらない慰めの言葉しか言えなかった。
「もう十分です」と仰って居た。
収入は僅かだが何とかやって行けると。
田舎のペットトリミングだから、客はそんなに多くは無いだろう。
これから独りで生きて行く事の寂しさには慰める言葉も無かった。
「私の家に遊びに来て下さい」としか言えなかった。


もう一人は、同じく在住のご子息が亡くなられた。
齢22で難病で旅立たれた。
生前の多くの写真が飾られた前で、私は言葉に詰まった。
「若い命が…」私は喉の奥から言葉を絞り出した。
彼は「諦めるしか無い」と口にした時、
私は仏教の四苦四諦を思い浮かべたが、
とても彼を慰める言葉は出て来なかった。


一夜明けて、今日はいつもの様に快晴で、
バイクでポタリングに出掛けた。
まるで春の様な暖かい風を切って走りながら、
同年生まれの私が今こうやって生きて居る事が、少し不思議な気がした。