チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

タイの暖かい冬に感謝

信じるものが無いので、神に感謝と言う事では無い。
誰にと言う事で有れば、両親に感謝。
よくぞ私を生み、育ててくれた。
父と母は再婚だった。
両方とも先妻、先夫に先立たれ、再婚をした。
母の先夫は病弱で、1年ほどして先立った。
父の先妻も病気で、3人の子を残して先立った。
当時は戦後間も無い頃で、余り若く無くても再婚するのが普通だった。
母は小学校時代優等生で、学校で一番。
今の中学に当たる高等小学校でも本当は一番だったが、
金持ちの子に一番は譲れと先生に言われたらしい。
余り裕福では無かったので、今の中卒位で就職し、結婚した。
母は健康優良児でスポーツ万能だったらしく、
ソフトボールの投手で肩を傷めた事が唯一悔いの残る事だった。
結婚生活が短かったので、もう一度位は結婚しようと思ったとの事。
父は終戦後、保険の代理店をやって居た。
収入は比較的安定して居て、元警察官で真面目だったので、縁談はそれなりに有った様だ。
3人の子を抱えて大変だったろう。
そして、母にとっては一粒種の私が生まれた。
私が親の再婚について知ったのは、父が他界してからで、
今の様な話はずっと後になって母から聞いた。
収入の面では勿論父に感謝して居るし、愛されて育った実感も有る。
母には父が早く他界して以降、ずっと女手一つで育てられ、
“孟母三遷す”では無いが、それ程教育熱心だったお陰で、
小6の頃から秀才の集まる英語塾に通わされ、
今も感謝して居る。
勿論その中で私は劣等生だった。
再婚の事を聞いた後も、私には全く兄や姉達に対する気持ちの変化は無く、
子供時代愛されて育った思い出しか無い。
むしろ姉達の方が意識して居ただろう。
それ故に却って愛された様な気もする。
まあ、今になって思うのは、父はよくぞ母を見初めてくれた。
そうで無ければ私は生まれ無い。
当時は恐らく、どちらかと言うと、男の方が決定権を持って居たと思う。
まあ、才色兼備な母は自信も有っただろうが…。
私の結婚などの経緯は兎も角として、お陰で今こうやって暖かいタイの冬を過ごして居る。



冬の清々しい朝


今朝7時の温度


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