チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

姉のこと

カレー鯖は昔食べた事を思い出し、妻に頼んだものだが、
何処で食べたのだろうか。
母はそう言う料理はしない人だった。
薄味の京料理。
父が血圧が高かったので、塩分控え目だった。


下の姉の家によく遊びに行ったが、姉は手作りの餃子とか、
焼き肉とか、若者の料理が多かった。
多分姉の家で食べたのではないだろうか。


姉の家は京都市内の太秦と言う所に有って、学生時代によく遊びに行った。
幼い姪や甥を遊んでやるのが楽しかった。
行ったらとても喜んでくれたのだ。


義兄にも車をよく貸して貰った。
三菱のギャランGTO。
今は無きスポーツタイプのヒップアップクーペだ。
これで大学に乗り付けると、注目の的となり、女の子を乗せてドライブもした。


夜明けの高速道路を走って居る時、
免許取りたての私に運転を代われと義兄に言われ、
ハンドルを切り損ねてガードレールに当たり、逆さになって止まった事が有る。
車は大破し、修理不能になった。
私は外付けのカーステレオでかすり傷で済んだが、

もう二度と運転はしまいと思った。
半年位して、また運転する様になって居た。
よく死ななかったものだ。


普段は食べられ無い焼き肉などの料理を、姉の家で食べるのも嬉しかった。
母は古風な料理が多く、麺類も作った事が無かった。


兄や上の姉とは年も離れて居たので、
小さい頃は、唯一、下の姉とは兄弟喧嘩が出来る年齢差だった。
7歳離れて居た。
ちゃん付けで呼んで居たが、姉はそれが気に入らなかった様だ。
上の姉だけ「お姉ちゃん」と呼んで居た。


姉の家族が東京に転勤してからは会えなくなった。
今は大分のくじゅう連山の麓に住んで居る。
義兄が病気の姉の為に、炭酸泉がいいだろうと言う事で、

引っ越して行ったのだ。
京都からは遠かった。


今、帰国しても、会う事は中々容易では無い。
もう一人の姉は、兵庫県に居る。
皆、散り散りばらばらになってしまった。



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。