チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで10年が経ちました。日々の暮らしを綴ります。

久し振りの再会

昨日は久し振りにプールに行って来た。
約1カ月振りだ。
懐かしい顔とも出会った。


以前、若い日本人が、市内で居酒屋をやって居たのだが、
そこは、タイ人相手の店で、3人の従業員が居た。
そのリーダー格の彼と会ったのだ。


今はもう店は無く、オーナーの若い日本人は、日本に帰って居る。
その店は、テラスに席が有り、若い客で結構いつも賑わって居て、
中にカラオケルームも有った。
ラム酒などをかき氷とシェイクして飲む「ラオパン」と言うものも
そこで覚えた。


そして、彼にタイ語の歌を3曲教えて貰った。
勿論、タイ語は読めないので、英語で書いて貰った。
彼は、その若いオーナーと歌舞伎町で知り合い、
店のオープンに合わせて、チェンライに戻って来たのだ。
だから彼は日本語が話せる。
料理も勿論出来る。


でも、今はチェンライの片田舎で、病気の母の面倒を見て居るので、
仕事が出来無いし、田舎では仕事も無い。
頭が良くて、人当たりもいい惜しい人材だ。


他の従業員だった二人は、市内で働いて居ると言う。
一人はビルマの若い青年で、身寄りが無かったので、
その若いオーナーが引き取って居たのだ。
働き口が見つかって良かった。
もう一人はMr.レディーで、何故か気が合ったので、
閉店後、彼ら3人をディスコによく連れて行ったものだ。


カラオケ代は無料で、そのラオパンと摘み代だけだったので、
いつも大体200バーツ(当時約600円)位だった。
余りにも安いので、いつもチップを一人100バーツあげた。
それでも、日本の事を思えばタダ同然だ。
日本のスナックに一度行けば、いつも5千円は払ったはずだ。


その若いオーナーともよく喋った。
歌舞伎町のナンバー1だったかどうかは忘れたが、
客の相手はプロだった。
そう言えば、一度歌手デビューを誘われた事が有ったと言って居た。
歌手デビューにしては、歳を取り過ぎて居たので断ったと。
一度ディスコかどこかで歌を聞かせて貰った事が有る。
踊りも含めて、まあそれなりのものだった。


もう6年以上も前の話だ。
懐かしい顔と出会えて良かった。



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