タイに住んで10年(其の4)
別棟の増築は、簡単では無かった。
設計図が有ったのか無かったのか、
いや、当時の私には設計図の事さえ念頭には無かった。
増築は地主の看護婦のご主人が、その団地の家の建設をして居たので、
彼に頼んだのだが…。
そのご主人は、愛想の良い、おおらかな現場監督だったのだが、
やはり設計図が無かったせいか、私の思って居る事と違う事が結構多かった。
いや、余り細かい事は事前に言わなかったので、当然の結果かも知れないが、
細部はその都度聞いてくれると思って居た。
それは私が建築の素人だからと言う事も有ったと思う。
どの段階でどう言う進捗になるかが分からなかった。
それで随分やり直しもして貰った。
決定的だったのは、別棟と母屋をフラットにして欲しいと言ったはずだが、
段差が出来てしまった。
どうしてこんな基本的な事が伝わらないのだろうと、私は憤った。
全て妻に通訳して貰って居たのだ。
そんな時は、妻はいつも監督の肩を持つ。
私はその事にも大きな不満を持って居た。
貴方は私の妻でしょ?
どうしていつも監督の肩ばかり持つの?と。
今でもそれは謎なのだが、いや、他人より身内に厳しくと言うのが、
彼女の処世術、或いはそう言う性格が、今では少し理解出来る様にもなったのだが。
その時は憤って居たので、彼女が何とかその場をとりなそうとした時、
私はその怒りを彼女にぶつけてしまった。
そしたら、彼女は切れてしまって、泣いて私に抗議した。
直ぐに誤ったのだが…。
そんな事を何度も繰り返して来た。
今思っても私の至らなさと言うか、無知と言うか…。
私はタイに来て、短気になってしまったのだ。
現役の頃は沈着冷静、どんな場面でも自分の感情を抑えて、事に当たって来た。
それがタイに来て、誰かに気兼ねをすると言う事も無くなり、
全て自分の思い通りになるものだから。
特に金銭面に於いて、日本では考えられ無い様な贅沢が出来るものだから、
有頂天になって居たのだ。
まるで殿様の様に…。
それと、日本だったらこうなのにと言う不満が、ストレスとして溜まって居た。
今は大分タイに慣れて来たと言うか、自分の考え違いにも気付いて来たので、
馬鹿なストレスを抱える事も無く、平穏無事な日々を過ごして居る。
未だにしょうもない事に腹を立てて居る人を見ると、
馬鹿だなあと思いながらも、諭してあげる気にもならない。
どうせ言っても、分かりゃあしない。
いや、実は私だって、自分の馬鹿な部分には、気付いて無いだけなんだろう。
(つづく)