チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

お手伝いさんロス

今頃に成って涙が出て来る。
小椋佳の歌はどうしてこんなに淋しい曲ばかりなのだ。


妻は1人で家事をしなければ成らないので張り切って居る。
私の朝食が遅いと落ち着かない様なので、「腹は減ったか」と聞かれれば「ウン」と。
昨夜の天ぷら素麺が堪えた。
素麺だけで腹いっぱいに成った。
しかも天ぷらは2人前は在った。
多ければ残せばいいと言うが、米の一粒も残すなと言われ育った日本人は残せない。
食べ物が豊富なタイ人はよく残す。
そう言えば、妻が自分の食事をサラえたのを見た事が無い。


そして今朝の食事は天丼。
「天ぷらうどんにしようか」と言ったので、それなら食べられると思ったのだが…。
やはりうどんは面倒臭かったのだろう。



さて、今日も朝から腹いっぱいに成ったので、喫茶店にも行けない。
コーヒーも入らないからだ。
仕方が無いのでまた小椋佳の歌を聴く事にした。



小椋佳/Full Album 『彷徨』(1972年)


当分、お手伝いさんの事は思い出さない様にして居る。
「センチメンタリズムは敵だ」と言うのが私の信条だ。
唯、タイ語学習が手に付くかどうかは分からない。
やって見る気も起らない。
喫茶店に行けば出来るだろう。


そう思って居たら妻は買い物に出掛けてしまった。
今日のメニュー表はちらし寿司に成って居ると言ったから、材料を買いに行ったと思った。
折角買いに行ってくれて、帰った時、私が留守ではせいが無いと思い、家に留まった。
何時かして妻が帰って来た。
暫く妻と会話をした後、また部屋に戻った。
曇って居たが、暑くて外に出る気がしない。
そのままYOUTUBEを見て居たら夕方に成ってしまった。
一日中閉じ籠って居てはいけないと思い、少し涼しく成ったので、ポタリングに出掛けた。


農道を走ると藁の焦げた匂いがした。



昨日の夜食(お手伝いさんが用意してくれた)


今日の夕食のちらし寿司。
2食分だと。




センチメンタリズムは敵だが、油断すると直ぐ溺れてしまう。