チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

タイに生きる(11)

陽が差して居る公園をのんびりとネコが歩いて行く。
この団地はネコの天敵も居ないし、小さな野良犬が時々団地の中をうろつくぐらいだ。
いつもそんな光景を窓ガラス越しに眺めながら朝食をして居る。
生前、母は公園の向こうの家のベランダに人が居るのかなどとよく話しながら食事をした。
いつの頃からか、外の景色が見えない反対側の座席に成った。
今から思うともっと外の景色が見える席にして置いて上げれば良かったと思うが、
いつの頃からか、食事をし始めるとトイレに行きたく成る様に成った。
多分それで席を変えたのだと思うが、母は食事中トイレに行く事を恥ずかしがった。
唯、それも最初の内だけで、その内それどころでは無く成ったのだろう。
食事をし始めると直ぐ顔をしかめて、急いでトイレに行く様に成った。
しかしその後便秘に成り、それはたいそう困った。
浣腸もしたりしたが、原因がお茶のせいだと思い、お茶の代わりにミルクを飲ませた。
すると便秘はましに成った。
それ以後亡くなるまでずっとミルクばかり飲む事に成った。
その後寝たきりに成ったが、お茶も好きだったから、もっとお茶を飲んで貰えば良かった。


私もその内、寝たきりに成るのだろうか。
私も便秘気味に成ったが、バナナチップを食べる様に成って良く成った。


母が寝たきりに成るとお手伝いさんを2人雇って介護をして貰った。
それで老々介護は免れた。
今のお手伝いさんの妹をビルマから呼んだ。
彼女は男の様に頑丈だった。
タイ語は喋れなかったから、お姉さんが通訳した。
お姉さんのタイ語も大した事は無いが…。
母が亡くなって妹には帰って貰った。
私が寝たきりに成ったらまた呼べるだろうか。
まあ、今からそんな心配をしても始まらない。
今でも思うのだが、日本で施設に入って貰うより良かったのではと。
死ぬ間際に母から目をつむったまま感謝の言葉が有ったので驚いた。
認知症だと思って居たのに…。


肺炎に成ったが、病院の集中治療室はとても寒かったので家に連れて帰った。
薄い病院着でどうしてあんなに冷房を強くするのだろう。
今から思うと、集中治療室は一時的な処置だったのかも。
集中治療室と言っても、だだっ広い丸い部屋で、真ん中に看護婦のコーナーが在って、
回りに患者のベッドが置かれて居た。
見た事も無い部屋だった。
器具は余り無く、単なる監視部屋だった。
私が認知症に成って居ても、絶対に入院させるなと妻には言って置かねば。
以前、私が低血糖症で倒れた時、耳元で「救急車を呼んでもいいか」と聞いたから、
その点心配は無いだろう。
但し、意識が有ればだが…。



昨日の夜食


今日の朝食


今日もいつものYOUTUBE。



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さて、今夜はうな丼。
今日もメチャ旨い。
これも毎日食べたいメニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。